原貫太のブログ

フリーランス国際協力師/原貫太のブログです。国際協力やアフリカ、原貫太の活動について発信します。

NGO駐在員がアフリカ人から学んだ、人と”繋がる”生き方【鈴鹿達二郎さんインタビュー】

今日は、私の上司であり、かつ尊敬する一人の「国際協力のプロ」を紹介したい。

 

認定NPO法人テラ・ルネッサンスの駐在員として、アフリカのウガンダ、ブルンジ、コンゴ民主共和国にて働く、鈴鹿達二郎さん。青年海外協力隊の時代から含めると、これまでアフリカに5年間駐在し、様々な活動に携わっている。

 

「大学院時代は、研究のためひたすら浜辺で貝を数えていたんですよ(笑)」と冗談交じりで話す鈴鹿さん。

 

彼はなぜ国際協力の世界に足を踏み入れ、アフリカで5年もの間働いてきたのか。彼はアフリカの人々から、何を学んだのか。彼が危惧する、日本社会の"生きにくさ"とは何か。話を聞いた。

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鈴鹿達二郎さん(photo by Kanta Hara)

 

鈴鹿 達二郎(すずか たつじろう)

1982年生まれ。認定NPO法人テラ・ルネッサンスのアフリカ事業マネージャー。


学生時代に、テラ・ルネッサンスが共催するカンボジア・スタディーツアーに参加し、国際協力に関心を持つ。

 

大学院を卒業後、2007年から青年海外協力隊として、アフリカのタンザニアにて、現地NGOで地域住民へのHIV感染予防の啓発活動や現地スタッフへのPCスキル教室開催等の活動を行う。

 

その後2009年から在タンザニア日本国大使館が政府開発援助(ODA)として実施する、同国内の開発プロジェクト支援に携わる。


2011年から現在まで働くテラ・ルネッサンスで、東北支援の「大槌復興刺し子プロジェクト」を中心に岩手県で活動を行う。2015年からは、海外事業部となり、現在ウガンダ、ブルンジに駐在して海外の支援活動を行っている。

 

 

タンザニアでの4年間

――鈴鹿さんは昨年6月から、テラ・ルネッサンスのアフリカ駐在員として、ウガンダでは元子ども兵社会復帰支援プロジェクトに、ブルンジでは紛争被害者支援プロジェクトに携わっています。

 

そもそも、テラ・ルネッサンスの活動に携わろうと決めたきっかけや理由は何だったのでしょうか。

大学院の頃に、テラ・ルネッサンスと、地雷ゼロ宮崎という市民団体が共催しているカンボジアのスタディーツアーに参加したことから、国際協力に関心を持ちました。

 

その後、青年海外協力隊に応募し、タンザニアにエイズ対策隊員として派遣され、現地のNGO職員と一緒に働いていました。そこでは、HIVエイズの予防のための啓発活動を行ったり、現地スタッフにパソコンのスキル・使い方を教えたりしました。

 

その中では、協力隊として人を助けに行ったはずなのに、逆に、色々な「大切なこと」をタンザニアの人から学び、そして助けられました。

 

アフリカの人たち、世界の人たちに恩返しがしたいと思うようになり、その後はタンザニアの日本国大使館で、草の根・人間の安全保障無償資金協力というODAのスキームの元で働きました。そこでは、地方自治体等が申請できる、いわゆる箱物(ハコモノ)の建設プロジェクトの審査、その案件が外務省で通れば資金を渡し、進捗をフォローするという業務の補助を行っていました。

 

その中で、-もちろん診療所や女子寮を建てるなども大事だとは思うのですが-、箱物を作るだけではなくて、問題の根本を解決したいというスタンスを持っていたんですね。テラ・ルネッサンスは、問題への対処だけではなく、問題の根本的な解決を目指して取り組んでいる団体だと思っていて、より草の根の視点で、現地の人たちの内在する力、秘めている力を引き出して、自立・自治の支援をしていることが、魅力的でした。 

 

2011年に東日本震災があり、その半年後にタンザニアから帰ってきたのですが、復興支援の活動をテラ・ルネッサンスが始めていて、そのプロジェクトの職員としてテラ・ルネッサンスに携わり始めました。

 

 

周りの人たちと繋がる生き方

――タンザニアの4年間で学んだ「大切なこと」を詳しく教えてください。

仕事の仕方については、日本人の方が、「時間を守る」「やると決めたことは実行する」などきっちりしていて、日本だと、仕事とプライベートはハッキリ分かれていると思います。

 

それに比べると、アフリカの人たちは、ルールや時間にルーズだという印象があるかと思いますが、それよりも僕がタンザニアの人たちから感じた働き方というのは、「自分の人生の一部に仕事がある」という印象で、何が何でも仕事をするというものではなかった。

 

人との接し方がより人間的で、「仕事だから」という感じではなく、「隣の人が困っていたら助ける」など、周りの人たちとしっかり繋がっている生き方をしていると感じました。

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協力隊員時代、地元の若者たちを対象にエイズ啓発に取り組む鈴鹿さん(写真:鈴鹿さん提供)

 

エイズや水不足、教育機会の欠如など、問題は沢山あるのですが、人と人との面と向かったコミュニケーションが多く、彼らはより人生を楽しんでいる。その中で、彼らの大らかさや懐の深さがあり、日本と比べてより人間らしい生き方をしていると思います。

 

「幸せ度」という意味では、日本人よりは、(人生を)楽しむのが上手いと感じました。もちろん、どっちかに極端に偏ってもいけないとは思いますが。

 

 

日本だと、老後のことや、新卒で就職しても40年後のことを考えて、計画して…ということがあると思うのですが、そういうことも大切とは思いますが、タンザニアの人からは、困難なことや死が(日本より)身近にある分、その日を生きる、その時間を生きる、幸せに生きるということを学びました。


――日本でも過労死やライフワークバランスの問題などがあると思いますが、日本の人たちがアフリカの人から学べることがあるのかなと思います。

 

 

ウガンダでの元子ども兵社会復帰支援

――2016年6月からアフリカに駐在している鈴鹿さんですが、ウガンダでの活動内容を教えてください。

ウガンダでの仕事は、現地の広報として、受益者(元子ども兵たち)の訓練の様子や感じていることなど、日本の支援者への活動レポートを書くなど、インターンの方にも手伝ってもらいながら、現地の様子を報告する仕事をしています。

 

また、特定の使途で寄付や助成金を頂いている活動には、その成果を伝えるために、活動報告や会計報告を作ることもします。

 

去年はスタディーツアーがありましたが、日本からの訪問者の受け入れやその現地側の準備もします。その際は、どのようなプログラムがあるべきか、私たちの活動をどうしたら知ってもらえるか、卒業した元子ども兵の方がどのように自立して生活しているかなどを知ってもらえるように、計画・準備しています。

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ウガンダ事務所で作業する鈴鹿さん(photo by Kanta Hara)

 


――ウガンダの現地スタッフ13人とはどのようなやり取りをするのでしょうか。

例えば会計の管理であれば、担当のスタッフと一緒に取り組みます。他にも、現地の先生たちとは、受益者が現在どういった段階の訓練をしているのか聞いたり、また地域の子供たちが集まって毎週ダンスを行なっているので、その様子を日本の方々に伝える仕事をしたりします。

 

 

平和を願う蜂蜜で紛争被害者を支援

――ブルンジは、比較的最近である2013年からプロジェクトが開始しました。ブルンジではどのようなお仕事をされているのでしょうか。
ブルンジの活動地では、地元の人たちが多様な収入源を確保して、コミュニティの自立する力を高めるために、養蜂の技術を身に付け、蜂蜜を販売し、自分たちで運営していけるようなプロジェクトを行っていますが、そのプロジェクトが上手くいくように一緒に製品パッケージを考えて製作したり、現地の養蜂の先生やスタッフと活動の報告書作成をしたりなど、様々な仕事をしています。

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ブルンジでの養蜂プロジェクトの様子。写真右はテラ・ルネッサンス理事長小川真吾さん。(photo by Kanta Hara)

 

今年度については養蜂のプロジェクトと同時に、現地の人たちが、レンガや陶器類、瓦などを作り、そこから収入を得られるようにする窯業プロジェクトも行っています。彼らによるコミュニティビジネスが順調に進むように、資材の調達、会計報告や報告資料の作成などをしています。

(関連記事→「世界から忘れ去られたもう一つの大虐殺-平和を願うブルンジのハチミツ」

 

上記以外でも、遠隔でコンゴ民主共和国の現地スタッフと、紛争被害者の自立支援プロジェクトの進捗を確認したり、打ち合わせをしています。

 

 

人生の半分を望まない軍隊で過ごしてきた元子ども兵たち

――ウガンダ、ブルンジ、それぞれで印象強く残っているエピソードはありますか?
ウガンダでは元子ども兵士の社会復帰を支援しているのですが、私がウガンダへ入った去年の6月頃には、8期生の元子ども兵たちが既に1年間訓練を終えていました。

 

8期生の元子ども兵たちの平均年齢はおよそ28歳なので、彼らの場合平均して14年もの間、武装勢力に拘束されていた、つまり人生の半分を反政府軍の中で過ごしてきたことになります。

 

教育もほとんど受けておらず、読み書きも計算も出来ないという状態、自分たちの技術も全く無いという状態から彼らの社会復帰が始まるも、私が彼らと初めて会った時には既に訓練を1年間終えていた。

 

そのため、彼らは洋裁や木工大工のスキルを少しずつ身に付け、それが一つ一つ自信になっていて、さらに故郷の村に帰って自立するとともに、周りの人も助けて地域を良くしていきたい、というのを彼らと話す中で感じ、「壮絶な経験をした」という事前の情報とのギャップ、「人はこれほどまでに変わることが出来るんだ」ということを、彼らから教えてもらった気がします。

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元子ども兵である8期生の方と交流する鈴鹿さん(photo by Kanta Hara)

 

(関連記事→「"13歳で誘拐された元少女兵"が語る壮絶な体験談 生き別れた子供との再会を夢見て」


――私自身もアイ―シャさん(仮名)にインタビューをして、先日1年ぶりに彼女に再会しました。1年前にインタビューをした際は、壮絶な経験をしたからこそ彼女の姿に暗い印象を覚えたのですが、今年1月からウガンダに駐在し、施設で彼女と一緒の時間を過ごす中で、彼女の楽しそうな様子や明るい雰囲気を感じることが出来て、1年前に感じていた印象とのギャップに、私自身驚かされています。

(関連記事:【第一章まで全文公開】『世界を無視しない大人になるために』

 

 

一番大切なのは平和であること

――ブルンジで印象に残っているエピソードを教えてください。

ウガンダと同じく、ブルンジも紛争の影響を強く受けた国の一つです。ルワンダ大虐殺は国際社会にも広く認知されていますが、ブルンジでも虐殺が起こっており、1993年からの紛争では、30万人もの人々が亡くなりました。

 

また、現在でも一人当たりGDP(国内総生産)から考えると、世界最貧国と言われている国です。

 

ちょうど1年前、出張で初めてブルンジへ入国しました。印象的だったのが、現地スタッフであるパシフィックの言葉です。彼自身、幼い頃に紛争に巻き込まれ、家族も虐殺されたという状況の中で、苦労しながらも勉強をするために大学に通う―途中で一度大学を辞めているのですが―など、大変な人生を歩んできた人です。

 

彼は細かい作業も出来る、約束も守れるなど、日本人の気質に似ていて、それ自体も印象的ではあるのですが、もっと印象的だったのが、「ブルンジって色々な問題を抱えているかもしれないけど、何が問題だと思う?例えば教育とか医療とか。」と質問した時に、「その2つも大切かもしれないけど、一番大切なのは『平和』であることだよ」と語っていたことです。

 

平和でなければ、自分たちが自由に行動することも出来ないし、地域を発展させることも出来ない。「教育や医療といった個々の問題に取り組む以前に、平和が存在しないと何もすることが出来ない」という言葉は、家族や親せきを紛争で亡くす経験をした彼だからこそ、重みのある言葉なのかなと感じました。 

(関連記事→「愛する家族を奪われても、平和のために闘う父-アフリカと日本を繋ぐ想い」

 


――私自身も現在アフリカに中期で滞在し、テラ・ルネッサンスのインターン生として活動に携わっていますが、その土地に住まないと分からないことや、気づくことのできない活動の意義があると思っています。駐在員としてアフリカに滞在していることによって、これまでどんな「気づき」や「発見」がありましたか。

先ほどもタンザニアの話の中でお伝えしましたが、日本と比べると文化の違いのみならず、仕事に対するスタンスや生き方も違っているので、「アフリカの人たちを支援する」といった一方的なものではなくて、「僕たち日本人もアフリカの人から学ぶことが沢山ある」というのを、タンザニアから離れて約5年が経つ今も、改めて感じています。

 

 

お互いが成長できる支援

――「国際協力」というのは一方通行の支援・活動ではなく、お互いが成長できる在り方が、その形として相応しいと僕も感じています。

ブルンジは最貧国とは言われており、農村に出向くと、着ている服もボロボロだし、決して物質的には恵まれているとは言えない生活が広がっていますが、その中でも、彼らは、日本よりもずっと持続可能な形で自給自足の生活を送っていると思います。

 

日本は経済的・物質的には豊かな国になったかもしれないけど、それが果たして持続可能なものかを考えた時、ブルンジの人々のライフスタイルに対して、僕らが上から教えられることはあるのか。

 

(外部からの支援によって)彼らブルンジの人々が物質的には一時的に豊かになったとしても、彼らの今ある生活や自然環境が持続するのかを考えた時、日本人の生き方はロールモデルになるとは思えません。

 

その意味で、「足るを知る」生活というか、彼らの生き方―自然を大切にし、自然を利用しながら生活する生き方―からも、沢山のことが学べると思います。 

 

一人ひとりの意識や消費行動を変えることで、世界を良くしていける

――最後に、今後の活動に対する意気込みと日本の人たちへのメッセージをお願いします。
日本にいるからこそ、アフリカや世界の現状を変えていく力を、自分も含めて、一人ひとりが持っていると思います。僕は大学生の頃まで、アフリカでの紛争のニュースを聞くたびに、「アフリカの人たちは紛争ばっかり起こしている人たち」だと決めつけて、その原因を考えることから逃げていましたが、今では意識が変わっています。

 

紛争の原因と日本・世界はとても深く結びついていて、日本を含めて先進国は、世界中の資源を大量に消費しています。アフリカで紛争を引き起こしている軍隊や武装勢力の資金源は、レアメタルなどの鉱物資源、石油などがあり、僕たちが消費している携帯やPC、車などに使われている原材料の中には、その利権を巡って紛争が行なわれている背景もあります。

 

 

また、このアフリカに紛争が起こっている背景として、奴隷貿易から植民地時代、そして現在に至るまで、アフリカが政治的、経済的、文化的になど様々な形で支配され、自立を阻害されてきたという視点も、アフリカの現状を考える上で重要だと思います。詳しくは、ぜひ書籍の『ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?』を読んでいただければと思います。

 

これらの事実を知ることは非常に辛いですが、反対に考えれば、一人ひとりの意識や消費行動を変える事で、世界のお金の流れや在り方を、自分たちで変える事ができると思っています。

 

ただ、上記のような紛争の原因になっているから義務感・責任感だけで行動を変えなければならないとも思っていません。「支援」や「国際協力」といった言葉を使わないでもいいような、人同士の関係、国同士の関係を作れるような活動をこれからもしたいと思います。

 

先ほども話したように、僕たち日本人も、アフリカの人たちの生活や文化、伝統から学ぶことが多々あると思うので、それをここで再発見し、教えてもらいながら、僕たちもサポートできることをしたい。

 

「12,000km離れた国」ではなく、「隣の人」といった感覚。今は飛行機でもアフリカに移動でき、またインターネットも発展しているし、「日本と外国」「先進国と途上国」ではなく、「地球市民=地球で生きている同じ市民」という感覚を持ちたい。「隣の人が困っていたら助けるし、隣の人が喜んでいたら自分も喜ぶ」といった活動をしていきたい。

 

まだまだ問題は沢山あるが、―これは日本でも言えることかもしれないけど―それぞれの地域の人たちが自立して、自分たちのことを自分たちで決めていく自治ができるように、サポートしていきたいと思います。

 

 

日本に暮らしていると、アフリカの情報は本当に少ないです。僕らも「発信」を頑張っていかなければならないけど、支援のことばかりではなく、アフリカの植民地支配の時代から失くしてしまったものもありますが、アフリカの文化や生き方、知恵といったものも発信していきたい。

 

他の地域でも良いですが、アフリカに対するアンテナを持って、少しでも興味を持ってもらえれば嬉しいです。

 


もどかしい所ですが、日本にいるとアフリカの情報は圧倒的に少ない。海外のニュースと日本のニュースの量を比べた時、原さんも分かっていると思うけど、前者の量は本当に少ない。その辺りを、私たちが関わっている事としてもっと上手に発信出来たらなと思います。


今の日本の世の中というのは、ひとり一人が大きなシステムの中に組み込まれて、その中の一つとして動いているがために、―過労死の問題などもありますが―あまりにも他者のことも、また自分のことでさえも考える余裕が無くなっていると思います。

 

だからこそ、日本人がアフリカから学ぶことは沢山ある。例えば、日本では、「電車で隣に座っている人に話しかけるとおかしい」と思いますが、タンザニアでは決してそんなことは無く、隣に座っていたら挨拶するのが当たり前。

 

他にも、小さな子どもが泣いていたら、誰か知らない人でも自然とその子をあやしている。「関係のない他人の子ども」でなく「みんなで育てていく子ども」。一昔前では、日本でも当たり前だったのだと思いますが、人間的に繋がった社会が、まだアフリカには残っています。

 

日本は人と人との関係、繋がりが、あまりにも分断され過ぎている気がして、それが当たり前になっている社会が、生きにくさを産み出しているのではと思います。 


――その生きにくさが、過労死の問題など、日本では犠牲も生み出してしまっています。

その人の命や健康よりも優先されるものはないと思います。死んでしまう人が出てしまう社会というのは、何か警鐘が鳴らされているように感じます。

 

今回お話ししたことは、「アフリカ」「日本」と語って一般化してしまっている所もありますが、日本の中でも、地域の課題や、世界で起こっている課題の解決に取り組んで、既存の枠組み・システムを超えて新しい社会を創り出そうという人たちとも出会ってきました。

 

ぜひその一員として、一人ひとりが安心して生活できる社会を目指していきたいです。

 

鈴鹿達二郎さんが強くオススメ!