原貫太公式ブログ「世界まるごと解体新書」

アジア・アフリカでの活動からニュース解説記事、仕事論まで。※本ブログの内容は個人の見解によるものです。

アフリカ(ブルンジ)と日本を繋ぐ想い-愛する家族を失っても平和のために闘う一人の父


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「アフリカの大地で起きた大虐殺(ジェノサイド)」と聞いたら、あなたは何を思い浮かべるだろう。

 

きっと、20世紀アフリカ最大の悲劇とも呼ばれる、ルワンダ大虐殺が頭に浮かぶかもしれない。1994年、フツ人系の政府とそれに同調する過激派フツ人の手によって、100日間で少数派ツチ人と穏健派フツ人約80万人が殺害された。

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虐殺の跡地に安置された犠牲者の遺骨。老若男女問わず、100日間で80万人もの人々が虐殺された。(photo by Kanta Hara)

 

2004年のアカデミー賞でノミネートされた作品『ホテル・ルワンダ』でも映画化されており、多くの人がこの悲劇について一度は耳にしたことがあるだろう。

 

一方で、国際社会から忘れ去られた「もう一つの大虐殺」がある。それはルワンダの隣に位置する、ブルンジという小さな国で起きた。

 

ベルギーからの独立後、ブルンジでは植民地下での構造を引き継ぎ少数派であるツチ人が支配を続けた。この支配に対して、1972 年にはフツ人がツチ人に対して反乱を起こすも、それに対する報復としてツチ人系政権は約20 万人のフツ人を数ヶ月で殺害。1988 年にも5 万人の民間人が虐殺されており、多くの難民が近隣諸国へと逃れた。

 

さらに、1993年にフツ人系の大統領が暗殺されたことをきっかけに紛争が勃発、結果として30万人もの命が奪われ、40万人のフツ人の人々が難民として国外に逃れた。内戦中は最大14,000人の子どもたちが戦闘に駆り出されており、その多くがわずか12歳前後だったとも言われており、多くの子ども兵が紛争に関わっていた。

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子ども兵(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

 

紛争の影響もあり、ブルンジは未だ世界で最も貧しい国の一つだ。2015年の一人当たりGDPは対象188か国中188位と、世界最下位となっている。1000人中142人もの子供が5歳の誕生日を迎えることが出来ないのも、特筆すべきかもしれない(2013年統計)。

 

そのブルンジにて、現在認定NPO法人テラ・ルネッサンスは、貧困層及び紛争被害者に対する支援の一環として、「平和を願うハチミツ」プロジェクトを実施している。詳しくは、「世界から忘れ去られたもう一つの大虐殺-平和を願うブルンジのハチミツ」を読んでほしい。

 

ここで、どうしても紹介したい現地スタッフのライフストーリーがある。

 

エジマナ・パシフィック。36歳。
ブルンジ共和国に生まれ、現在はテラ・ルネッサンスが行なっている同国のプロジェクト・コーディネーター(事業計画の調整役)として受益者(支援対象者)のサポートをしている。彼は、キルンジ語、フランス語、英語、アラビア語、スワヒリ語を使える。

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パシフィックさん(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

 

「人を助けることが好きだ」と話す彼。先日、Skype(ビデオ通話)の画面越しに、笑顔で手を振ってくれた。しかし、彼のこれまでの人生は、決して平坦な道程ではなかった。

 

1993年、パシフィックがまだ13歳だった時にブルンジ内戦は勃発。彼は、父親を失った。
悲しみに暮れながらも、それからは母親の手伝いをし、畑で作物をつくりながら、6人の兄弟姉妹の面倒を見ながら何とかして毎日を生き延びた。


 
内戦は2002年まで続き、武装グループの襲撃に遭う時は家族まとまって別の場所へと避難した。

お金も、育てた作物も奪われた。村人の中には、逃げ遅れて殺された人もいた。
 
内戦勃発から3年後、彼は授業料の安い中学校へと入学し、空いた時間には図書館に通うなどして、自主的に勉学に励んだ。もともと勉強は好きだったと話すが、「貧困」、そして「内戦」という環境下において、毎日必死に生活し、勉強を続けていたと彼は話す。

 

そして2004年、内戦が落ち着いた頃、国が行う大学入試に合格したパシフィックは、ブルンジ大学(国内最高の大学)に入学。ようやく勉強に集中できる日々が訪れたかと思われた。

しかしながら、貧困がゆえに、1年間で退学せざるを得なくなった。授業料はかからなかったものの、大学のある首都での下宿生活を続けるほど、経済的な余裕がなかったのだ。


それでも前に進もうとする彼は翌年、今度はスーダンの大学へと入学。そこでは外国人留学生へのサポートがあり、1年間10ドルのみで授業を受けることができた。

 

1日中何も食べることなく、ふらふらになるようなこともあったと話すが、パシフィックは無事に卒業することができた。そして、母国であるブルンジへと帰国した。

 

しかし、そんな彼を待っていたのは、またしても過酷な現実。これだけ学業を修めた彼でさえ、ブルンジで職を見つけることがなかなかできなかった。


3年後からテラ・ルネッサンスで活動を開始するまで、彼は農業をしながら学校などで英語を教え、わずかなお金を得て生活を送っていた。

 

「人生におけるゴールは、日々の活動をする中で、コミュニティ(=地域社会) を豊かにすること。難しいけど、ベストを尽くしたい。」

「短期的に食料やお金をあげることも、ひとつの支援であることはわかっている。でも、テラ・ルネッサンスが行なっている、技術や生産、販売、ビジネスの方法を学ぶことで、彼ら彼女たちが自分たちで生活をより良いものへとしていけるのが、最も重要だと思う。」

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ハチミツを生産するブルンジの人々とテラ・ルネッサンス理事長の小川真吾(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)


パシフィックは仕事中こまめにメモを取る習慣があるが、これはきちんと時間やタスクを整理しながら、仕事をしたり、日常生活をうまく送っていくことが大切だという考えからだと話す。


受益者からは、子どもにあげる食料が足りないなどの相談を受けることも。人を助けることが好きだと言うパシフィックだが、彼自身、昨年5月に娘を亡くしている。原因は、感染症の病気だった。

 

それでも、パシフィックは、「平和」について笑顔でこう語る。

「平和とは、衝突の無い世界。人々が調和し、協力しあうことが、平和な世界に生きることだと思います。」

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ブルンジの子ども(photo by 認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

 

紛争や貧困によって、どんなに死が身近にある国の人であろうと、決して慣れることのない「脅威」や「苦しみ」が、今も世界の至るところで続いている。

 

それでも、今この瞬間も、「平和な世界」を願い、誰かのために汗を流している"ヒーロー"たちがいる。

 

「すべての生命が安心して生活できる社会の実現」というテラ・ルネッサンスのビジョン、そしてスタッフひとり一人の想いは、遠く離れたアフリカと日本を繋いでいる。

パシフィックのような存在が、私のすぐ身近にいるということを誇りに思いながら、現地ウガンダ・ブルンジでのインターンシップに邁進したい。

 



www.terra-r.jp