フリーランス国際協力師の原貫太(@kantahara)です。この記事は2019年2月に再編集しています。
僕のブログを読んでいる方は既にご存知かもしれませんが、僕が海外に目を向けることになった原体験は、フィリピンで一人のストリートチルドレンと出会ったことにあります。
大したモチベーションもなく、何となく「就活のため」という気持ちで足を運んだフィリピン。まさか、たった一瞬の出来事がその後の人生を大きく変えることになるとは思ってもいませんでした。
あれから5年が経った今でも忘れられない、一人のストリートチルドレンとの出会い。改めて、この記事で僕の原体験を伝えます。
- フィリピンに行く前、僕は教師になりたかった
- 浅い動機でフィリピンのスタディツアーに参加
- なぜフィリピン&ストリートチルドレンのプログラムを選んだのか?
- 正直、最初の5日間はただ活動を楽しんでいた
- フィリピン滞在最終日、一人のストリートチルドレンと出会った
- さいごに
フィリピンに行く前、僕は教師になりたかった
よく誤解されるのですが、僕は早稲田大学文学部の出身です。時々、国際教養学部や政治経済学部と間違えられるのですが、文学部の社会学コースを卒業しています。
というのも、僕は大学に入学した頃、もっと言えばフィリピンに足を運ぶまでは、教員として働くことを志望していました。一年生の時は教職も真面目に履修していましたね。
大学に入学してからは、何となく抱いていた「海外留学」の目標に向かって英語の勉強ばかりしていた僕は、一年生の後期から「グローバル・リーダーシップ学」という授業を履修しました。
その授業で初めて、社会課題に取り組むNPOやNGOという存在を知り、「国際協力」という世界があることを知ったのです。
周りには世界で働くことを目標にしている超意識の高い学生がたくさんいたため、正直言って、自分の将来に対する考え方の甘さを痛感させられました。
そして、教員になるという目標が正しいのか分からなくなった僕は、少しずつ「海外」に目を向けるようになったのです。
浅い動機でフィリピンのスタディツアーに参加
なぜだかフィリピンで超モテた
僕がフィリピンのスタディツアーに参加したのは、大学一年生も終わりかけの頃、2014年2月のことです。
当時、英語力が上達しつつあった僕は「この春休み、英語圏の海外に行こう」と前年の秋に決意。まぁ、大した動機ではないですよね。
今でさえアフリカで仕事をしている僕ですが、それまでの海外経験はニュージーランドとマレーシアのみ。もちろん、純ジャパとして育ってきました。
海外旅行の計画を考え始めた僕ですが、
- どうせ行くなら普通の旅行は嫌だな
- 東南アジアの途上国が良いな(安く済ませたいし)
- 意識高いことしたいな
- 就職に有利な経験を積みたいな
と、こんな感じの浅はかな動機でリサーチを始め、最終的に「海外ボランティア」というキーワードに行き着いたのです。
ここからはシンプル。Googleで「海外ボランティア」と検索し、一番上に出てきたフィリピンのスタディツアーに参加することにしました。
なぜフィリピン&ストリートチルドレンのプログラムを選んだのか?
なぜ最終的に「フィリピン×ストリートチルドレン」のプログラムを選んだのか。
これもよく質問されることですが、正直何一つ深い理由がありません。今思い出せる限りで挙げるなら、
- ストリートチルドレンという言葉に何となく聞き覚えがあったため、自分の目でその存在を確かめたかったから。
- いわゆる「貧困」を最も体験できそうなプログラムに感じたから。
くらいです。まぁ、普通ですよね(笑)
正直、最初の5日間はただ活動を楽しんでいた
僕が参加したフィリピンのスタディツアーは、現地滞在たったの6日間。具体的にはこんな活動に取り組んでいました。
- スラム街で暮らす子どもと交流
- 孤児院で簡単な教育ボランティア
- ストリートチルドレンに対する給食活動
たしかに、当時の僕にとってはすべてが新鮮だったため、充実した時間が過ぎていきました。
ストリートチルドレンの子どもたちと
フィリピン滞在最終日、一人のストリートチルドレンと出会った
上の写真が証明しているように、僕はフィリピンでの活動を楽しんでいました。特に、給食活動で出会ったストリートチルドレンの子どもたちとは、思いっきり遊んだのを今でも覚えています。
楽しむこと自体は悪くないと思いますが、彼らの笑顔の裏に潜むフィリピンの問題を見つめようとはしていませんでした。
ただ、フィリピン滞在最終日、空港に向かう車の中から僕は”ある光景”を目撃します。
車の往来激しい三車線の道路。その上を、車と車の間を縫いながら歩く一人のストリートチルドレン。ボロボロのワンピースを着た、7歳くらいの女の子です。
彼女は裸の赤ん坊を抱えながら車の窓ガラスを叩き、物乞いをしていたんです。
あの瞬間に感じた気持ちは、何とも表現しにくいですね。
ストリートチルドレンが物乞いしている光景は、フィリピンのような途上国なら日常茶飯事です。そして恐らく、一種のやらせだと思われます。
帰りがけの観光客から少しでも多くお金を貰うために、自分をより可哀想に見せるわけです。
しかし、当時の自分はそんな裏話は知りません。目の前で起きていることを理解できず、
「この6日間、フィリピンの色々な場所を訪れてボランティアをしたきたのに、ここにも困っているストリートチルドレンがいる。それに、今まで出会ったどのストリートチルドレンよりも貧しく見える。」
と感じ、呆然となってしまいました。同時に、
「自分がこれまでやってきた活動はなんだったんだ。もっと他に目を向けるべき問題、やるべきことがあったのではないか。」
そう、強烈な後悔に襲われます。この時に自然と、本当に自然と自分の中に芽生えた言葉が”世界の不条理”です。
そして、その"世界の不条理"をただ仕方のないものとして受け入れてしまうのではなく、どんなに微力であっても抗いたい。挑戦したい。
たった一人のストリートチルドレンと出会ったことをきっかけに、そんな強い気持ちが僕の中に芽生えました。
さいごに
僕が国際協力に目を向けたきっかけとして、フィリピンのストリートチルドレンとの出会いを紹介しました。
もちろん、もっと細かく自己分析をすれば他のきっかけや動機は出てくるでしょうし、その後にストリートチルドレン支援の団体を立ち上げた理由はこれだけではありません。
でも、僕にとってフィリピンで味わった経験、何よりも一人のストリートチルドレンとの出会いは、とても大きな意義を持っています。
さいごになりますが、今どんなに国際協力の活動を頑張っても、あのフィリピンの少女に対して僕がやれたことは、何一つありません。
不思議ですね。あのストリートチルドレンとの出会いが、今の自分を創ったというのに。
追記
この話には、実は続きがあります。僕にはもう一つの原体験があるんです。
フィリピンでストリートチルドレンの少女と出会ったのは2月、そしてストリートチルドレン問題に特化した学生団体を設立したのは、3か月後の5月です。
そう。正直に言えば、僕はまだ迷っていました。「世界の不条理に挑戦したい」と強く思うことはできても、すぐに行動を起こす勇気がなかったのです。
そんな時に、僕はある大学教授と出会いました。そこでの出会いは、下の記事で書いています。