原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

政府軍が夫を誘拐「今は生きているかも分からない」南スーダン紛争のリアル

南スーダンに派遣されていた自衛隊が先月27日に撤退してから2週間以上が経った。同国を巡る報道はますます減っていくが、『自衛隊が撤退しようが撤退しなかろうが、南スーダン難民・国内避難民の「苦しみ」は変わらない』

 

2013年末に内戦状態に陥り、昨年7月に紛争が再燃した南スーダンでは、国民の半分近い約550万人が食糧危機に瀕している。周辺国に逃れた難民の数は180万人を超え、「世界で最も急速に深刻化する難民危機」とまで形容されるようになった。先月8日には、国連児童基金(ユニセフ)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によって国内外で避難民になった子どもが200万人を超えたと発表されており、実に南スーダンの子ども5人に一人が家を追われていることになる。

 

私が今年初めに滞在していた東アフリカのウガンダ共和国。南スーダンに隣接したこの国は、現在南スーダン難民90万人以上を抱えている。その中でも、紛争で一家の大黒柱である夫を失った女性は生活費を稼ぐ手段に困り、仮に「戦闘」や「暴力」から逃れることができてウガンダへやってきたとしても、そこでの難民としての生活もまた困難を極める。紛争の犠牲者は、いつも女性や子どもだ。

 

マディ族出身のマーガレットさん(仮名)(23歳)は、昨年7月に紛争が再燃した後、故郷を追われてウガンダへと逃げてきた。「夫と一緒に逃げてきましたが、途中で政府軍に見つかり、そのまま夫は拉致されました。今は夫が生きているかさえも分かりません。」

 

夫を失った今、彼女には十分な生活費を稼ぐための手段がない。「薪木を集めて売ったり、草むしりをしたりしてお金を稼いでいます。」そんな彼女の一か月の収入は、わずか500円にも達しない。難民居住区では食糧支援も行われてはいるが、決して十分な量が配給されているわけではない。

 

彼女と話していて、印象的だったことがある。彼女は流暢な英語を話していたのだ。通常南スーダン難民から話を聞くときは、現地語と英語が話せる現地スタッフや難民のリーダーの通訳を介して、インタビューを行う。しかし、南スーダンで暮らしていた頃には大学に通って会計の学位を取得し、そして教師として働いていた彼女は、何不自由なく英語を話していた。

 

もちろん彼女の英語にはアフリカの訛りが入っている。しかし、私と会話をするのには困らないほど英語を話せる彼女。難民と直接会話をするのはその時が初めてだった。そのことが、彼女の体験談を私により「リアル」に感じさせた。

 

「南スーダン難民」、もしくは「アフリカの難民」といった言葉を聞けば、テレビや新聞を通じて目にする”あの”イメージが目に浮かぶかもしれない。しかし、南スーダン・日本という国や生活環境の違いはあるにせよ、そこでは私たちと同じような一人の人間が紛争で傷つき、そして難民としての厳しい生活を強いられている。現在は子ども3人を養いながら生活しているマーガレットさん「今はとにかく仕事が欲しいです。」母国では大学も卒業している人間として、難民としての生活に多くのフラストレーションを抱えているようだった。

 

イエメン、ソマリア、ナイジェリア、そして南スーダン。中東・アフリカの4か国は現在「過去70年間で最悪レベル」の食糧危機に見舞われている。特に南スーダンでは「人によって作られた飢饉」が進行しており、援助関係者が襲撃され、支援活動が妨害されていることも数多く報告されている。