原貫太オフィシャルブログ

アフリカでの国際協力活動から仕事論、情報発信術まで。※本ブログの内容は個人の見解によるものです。

「地球市民」という考え-戦場で生きるアフリカの子ども兵(少年兵)と早稲田大学に通う日本の私

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この記事を読んでいるあなたは普段、世界で起きている出来事に対して、どれほど関心を持っているでしょうか。もしくは持ち続けているでしょうか。

 

ニュースを読む。インターネットで調べ物をする。SNSをチェックする。私たちが生きる昨今の世界はテクノロジーが進み、地球の裏側の情報でさえも、瞬時に手に入るようになってきました。

 

例えば、

 

・20年以上続いたウガンダ北部の内戦では推定3万人の子どもたちが反政府軍に誘拐され、望まない子ども兵として戦場に立たされてきた。

・バングラデシュの首都ダッカには、学校にも通わず、親元から離れて路上で生活しているストリートチルドレンが33万人以上いる。

・1994年4月~7月に起きたジェノサイド(集団抹殺)で、ルワンダでは推定80万人以上の人々が殺害された。

 

ここに列挙したような話を見聞きした時、あなたはどう感じるでしょう。悲しいと思うでしょうか。何か自分にできる事をしたいと思うでしょうか。それとも、一瞬は何かを感じることはあっても、時間が経てば「どこか遠くの世界で起きている問題」と割り切り、何事も無かったかのように、いつもの生活に戻るのでしょうか。

 

 

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子ども兵。ある日突然誘拐された彼らは、洗脳を目的とし、最初の「任務」として親や兄弟を殺したり、または四肢を切り落としたりすることが強要される。(写真:認定NPO法人テラ・ルネッサンス)

 

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ストリートチルドレンの子どもたち。ペットボトルなどのゴミを集めて回収業者に渡したり、物乞いをしたりしてわずかな収入を得る。一日の収入は100円にも満たないことがほとんど。多くの子どもは学校に通っていない。

 

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ルワンダ虐殺の跡地に安置された犠牲者の遺骨。たった22年前に、100日間で80万人もの人々が虐殺された。国際社会は虐殺を止めようとはせず、その光景を何もせずにただ眺めているだけだった。

 

これまで私はフィリピン、バングラデシュ、ルワンダ、ウガンダ...と足を運び、「ストリートチルドレン」「児童労働」「物乞い」「孤児」「スラム」「虐殺」「HIV/AIDs」「子ども兵」など、学生という立場にも関わらず様々な不条理や社会的弱者と接する機会を得てきました。

そしてただ接するだけではなく、一学生NGOのメンバーとしてその不条理に対する抗い方を考え、紆余曲折しながらも実行に移し、また一方では様々なメディアを通じて、自分が現地で見聞きした話を「伝える」ことにも力を入れてきました。

 

だからこそ、沢山の人、特に周りの大学生の友人にしばしば訊かれることがあります。

 

"どうして世界の出来事にそこまで関心を抱けるの?"

 

簡単なようで、とても難しい質問です。ただ、この質問に対する私の答えの一つが、「地球市民」という考え方です。

 

日本人であると共に、地球市民として

これといった正式な定義は無いものの、「地球市民」とは、「人種や国籍、思想や宗教、文化などに囚われず、平和、環境、人権、貧困などの地球規模の課題の解決に向けて、地球に生きる一人の人間として、日々の生活の中で考え、行動を起こしていく人。」のことを指します。

 

私は、日本人です。そして今この記事を日本語で読んでいるほとんどの方も同じように、日本人だと思います。

ただ、「日本人である」のと同じように、私はこの「地球市民」という、また別の「アイデンティティ」を持とうと、心がけています。だから、日本国内で起きている出来事だけではなく、「地球の裏側」で起きていること、例えば紛争、貧困、環境破壊などにも、関心を持っています。

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ブルンジのストリートチルドレンと筆者

 

そしてまた、世界の諸問題を知った時に、そこに対してただ責任を追及したり、悲しみを嘆いたりするのではなく、自分自身にもその責任の一端があるのではないか、自分はその出来事とどのように繋がっているのか、彼ら彼女らを苦しめる「構造的暴力」を産み出す構造に自分が関わってしまっていないか、自分の足で誰かを踏みつけていないか…そんなことを、時として考えながら生活しています。

 

でも、この「地球市民」というアイデンティティを自分の中に持つことは、簡単な事ではありません。簡単ではないからこそ、"どうして世界の出来事にそこまで関心を抱けるの?"と訊かれます。

 

だから私は、自分と世界との繋がりを考えるために、二つの考え方を大切にしています。それは、「理解」「自覚」です。

 

ある日突然、反政府軍に誘拐されて、軍事訓練を受けさせられたウガンダの子ども兵は、なぜ最初の任務として家族や親しい人を殺さなければならないのか。なぜ「子ども兵」と呼ばれる人々は、未だ世界に25万人以上も存在しているのか。

 

なぜこの地球という惑星(ホシ)には、不条理過ぎる現実が溢れているのか。

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南スーダンから逃れてきた難民の子ども達と原

 

22歳の自分には、まだまだ知らないことが山ほどあるからこそ、自分が生きている世界のことを知り、そして「理解」したい。毎日の勉強や、世界中のニュースに対して高くアンテナを張ることで、社会の流れに敏感になることで、世界に対する自分の「理解」を深めていく。

 

そしてもう一つ、ただ「理解」するだけでなく、自分の足元にも目を向けてみる。自分が今置かれている環境や立場に対して、「自覚」を持つこと。

 

戦場で人を殺めることに従事する(従事させられている)アフリカの子ども兵がいる一方で、自分は早稲田大学という恵まれた環境で毎日勉強することが出来る。友達とくだらない話に花を咲かせながら、腹一杯美味しいご飯を食べることが出来る。家族や恋人と幸せな日々を送ることが出来る。

 

そして、この「理解」と「自覚」は、お互いに影響を及ぼし合うと思うのです。他者に対する「理解」が、自己に対する「自覚」を生む。また、自己に対する「自覚」が、他者に対する「理解」を生む。

 

この「理解」と「自覚」を同時に持った時、その両者の気の遠くなるような乖離こそ、私に「地球市民」という意識を喚起させます。

 

 

今月14日に熊本で地震が発生したすぐ後、アメリカの友人のみならず、バングラデシュやウガンダの友人からも、「お前の町は大丈夫か」「友達は大丈夫か」などとFacebookで連絡を貰いました。

 

遠く離れた国の人々が日本のことを気にかけてくれている。その一方で、私たちは普段どれだけ他国の出来事に関心を持ち生活しているでしょうか。

 

地球市民、この言葉の意味を、改めて考えさせられています。