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原貫太公式ブログ「世界まるごと解体新書」

アジア・アフリカでの活動からニュース解説記事、ライフハックまで。原貫太が世界をまるごと解体します。

路上暮らしをする子どもがいるのが当たり前、と思ったら僕の負け

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僕が「国際協力」という世界に出会ったきっかけは、大学1年時に参加したフィリピンのスタディーツアーで物乞いをする一人の少女と出会ったことだ。詳しい内容は「一人の「少女」との出会い~僕が「国際協力」に目を向けたきっかけ~」を読んで頂きたいが、簡単にその経験を書きたい。

 

www.kantahara.com

 

 最終日に出逢った一人の少女

そのスタディツアー自体は、現地滞在(たったの)6日間。スラム街で暮らす子供たちと遊んだり、孤児院を訪問して施設のスタッフから話を聞いたり、ストリートチルドレンにパンを配る給食活動をしたり。当時の僕にとっては活動全てが新鮮で、非常に充実した時間が過ぎていった。

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フィリピンの子ども達と

 

正直に、というよりも写真が証明しているように、僕は活動を楽しんでいた。別に楽しむことは悪い事ではないと思うが、彼らの笑顔の裏に潜む途上国の問題を見つめようとはしていなかった。

 

いずれにせよ有意義な6日間を過ごしたわけだが、最終日の2014年2月17日、空港に向かうバスの中から僕はとある光景を目撃する。

 

車の往来激しい3車線の道路。その上を、車と車の間を縫いながら歩く一人の少女。ボロボロのワンピース。7歳くらい。

彼女は、裸の赤ん坊を抱えながら車の窓ガラスを叩き、物乞いをしていた。

 

あの瞬間に感じた気持ちは、何とも表象し難い。

 

ご存知、こんな光景は途上国では日常茶飯事である上に、やらせだろう。帰りがけの観光客から少しでも多くのお金を貰うために、自分たちをより可哀想に、より見すぼらしく見せるのだ(やらせだとしても、それはそれで問題だとは思うが)。

 

しかし、当時の自分はそんな裏話は知らない。目の前で何が起きているのかが全く理解できず、 

「この6日間、散々色々な場所で活動に従事してきたのに、まだここにも困っている人がいる。それに、今まで見たきたどの子供よりも、困っているように見える。」

 

と、ただ呆然としてその光景を見ていた。そして同時に、「自分がこれまで行ってきた活動は何だったんだ。もっと他に目を向けるべき問題、やるべきことがあったのではないか。」と、強烈な後悔に襲われた。

 

この時、自然と、本当に自然と自分の中に芽生えた言葉が、"世界の不条理"。そして、その"世界の不条理"をただ仕方の無い物として受け入れてしまうのではなく、どんなに微力であっても抗いたい。挑戦したい。そんな気持ちが芽生えた。

 

不条理をただ受け入れたくなかった

一方でその時、(決して悪い事とは言えないが)周りの参加者たちには「まぁ、あのような子どもたちも存在するよね。仕方ない一面だよね。」といった反応をする人もいた。日本に帰国してこの経験を誰かに話せば、「途上国にはそういう現状も存在するよね」という反応もされた。

 

でも、僕はその現状が受け入れられなかった。危険を冒してまで路上で物乞いをしなければならない子どもたちがいるという事実や、そのような子どもたちが生まれてしまう社会の構造が許せなかった。おかしいと、間違っていると、心の底から思った。だから私は、空港に着いた後トイレに駆け込んで泣いたし、日本に帰国した後、この問題に対してやれる事をやろうと、自分で学生NGOバングラデシュ国際協力隊を立ち上げた。

 

あれからもう、3年の月日が経つ。国際協力の世界に本気で足を踏み入れた後の私は、バングラデシュ、ルワンダ、ウガンダなどいくつかの途上国に足を運び、そしてストリートチルドレン、児童労働、子ども兵、虐殺、スラムなど、様々な社会問題と向き合ってきた。

 

現場に長く滞在していると、「感覚」が麻痺しそうになることがある。かつては物乞いをする子どもたちに衝撃を受けて、この不条理を正そうと立ち上がったのに、いつの間にか「途上国では路上で暮らすストリートチルドレンがいるのが当たり前だ」と、僕はどこか思い始めてしまってはいないだろうか。

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集めたごみを一か所に集めるストリートチルドレンの子ども。バングラデシュにて撮影(photo by Kanta Hara)

 

アジアやアフリカの途上国に長く滞在し、援助業界に携わる人の多くもまた、「路上で生きる子どもたちにはお金をあげてはいけない」「彼らは悪さを働くこともあるので近づかない方が良い」などといった、固定的なイメージを彼らに対して抱えているような気がする。何と言うか、「途上国にはストリートチルドレンがいるのが当たり前なんだ。仕方ないんだ。」と、思考や感覚が麻痺しかけており、その背景や原因を考える機会が無い、もしくは極端に少ない気がする。

 

ただ、僕は思ってしまう。途上国には路上暮らしをする子どもがいるのが当たり前だと思ってしまったら、負けなんだと。ストリートチルドレンが生まれてしまうことを「おかしい」と思い、その背景や原因に対して思考を傾け続けなければならないのだと。

 

ある社会問題が生じている状態を、当たり前のものとして受け止めてしまっていては、負けなんだと。

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ウガンダにて撮影(photo by Kanta Hara)

 

問題に対して真摯に向き合う

不思議なことに、ある問題を「当たり前のこと」と決めつけずに、問題として真摯に向き合うようになると、その他の問題にも自然と目が向いてくる。例えば、新宿を歩いていれば目に入ってくるホームレスの人々。僕らはいつの間にかそれに見慣れ、当たり前の現状だと思ってしまってはいないだろうか。けれど、「その現状は当たり前の事ではないんだ。おかしいことなんだ。」と思えるようになれば、改めてその問題に目を向けなければいけないと、考えさせられる。

 

例えば、特定の宗教を信仰していれば、ある程度はその教えや考えに従って生きることが出来るかもしれない。しかし、僕含めて、私たち日本人の多くは無宗教だ。ほとんどの人には、「この考えに従って生きていれば良い」という人生の指針は無いだろう。だからこそ、ひとり一人考え続けなければならないと思う。21世紀の世界というのは、あらゆる社会課題に溢れており、その状態がどこか当たり前なものだと、人々の思考が麻痺しているように感じるから。

 

だからこそ、私は考え続けよう。価値観や考え方の変化に向き合うことは、人が生きる上で最も醍醐味のあることの一つだと思うから。