原貫太のブログ

フリーランス国際協力師原貫太のオフィシャルブログです

貧困でも幸せは本当か?アフリカで生活して、その答えがわかった

フリーランス国際協力師の原貫太(@kantahara)です。発展途上国で貧困問題に取り組んでいると、こんな問いに直面することがあります。

 

「この子どもたちは経済的にはとても貧しい生活なのに、すごく幸せそうに見える。たとえ貧困だとしても、彼らは十分に幸せなのではないだろうか?」

貧困でも幸せ

ウガンダの子供たちと筆者

 

アジアやアフリカで長らく貧困問題に向き合ってきた経験から、「貧困でも幸せか?」という問いを考察します。

 

 

「貧困でも幸せ」は、初めて途上国に足を運んだ大学生あるある

こういった言い方をするのもアレですが、「貧困でも幸せ」という考え方に行き着くのは、初めて発展途上国に足を運んだ大学生あるあるだと僕は思っています。それが良いか悪いかは別にして。

 

「現地に行くまでは、貧しい子どもたちは不幸だと思っていた。でも、実際に足を運んでみたら、みんな笑顔で、幸せそうに見えた。自分が何をするべきなのか、よく分からなくなってしまった。

 

こんな葛藤に直面する大学生がたくさんいます。僕自身もその一人でした

 

大学一年生の春休みに初めてフィリピンに行った時、「貧困でも幸せなのではないか」という考えに、僕自身も直面したんです。現地に行くまでは「困っている人を助ける!」と意気込んでいたのに、いざ活動が始まったら、実際の写真はこんな感じ。

貧困でも幸せ

フィリピンのストリートチルドレンたちと

 

貧しくて、可哀想で、不幸だと僕が信じ込んでいたストリートチルドレンの子どもたちは、めちゃくちゃ元気でした。わずか一時間程度だったとはいえ、少なくとも僕が一緒に過ごした時間の中では、彼らはとても幸せそうに見えたんです。

 

貧困でも幸せは、半分正解で、半分不正解

でも、僕がストリートチルドレンの子どもたちと一緒に過ごしたのは、わずか一時間程度です。そんな短い時間では、彼らが置かれている状況や抱えている問題の真相なんて、到底理解することはできません。

 

一週間程度のボランティアツアーに参加したところで、所詮は自己満足の活動に過ぎないのです。

ボランティアツアーに1週間参加するだけでは自己満の活動になりかねない。 - 原貫太のブログ

 

結論を言えば、「貧困でも幸せ」という考えは、半分正解で半分不正解です。

 

例えばアフリカの田舎に足を運ぶと、そこには農業で自給自足の生活を送る人がたくさん暮らしています。彼らのほとんどは、一日200円以下で生活を送る、いわゆる絶対的貧困層の人たちです。

 

でも、彼らに「あなたは今幸せですか?」と質問をしてみると、多くの人が「幸せです」と答えを返してくれます。

 

家族と一緒に過ごせるから幸せ。

農作物がたくさん採れるから幸せ。

子どもが学校に通えているから幸せ。

戦争がなく平和な毎日が続いているから幸せ。

 

そこには色々な「幸せ」の形がありますが、彼ら自身が「幸せ」と語っているのだから、「貧困でも幸せ」という考えは、決して間違ってはいません。

貧困でも幸せ

ウガンダの子供たち

 

でも、貧困層の彼らは、ある日突然病気になれば治療費を払うことができず、家族を失ってしまうかもしれません。例えばマラリアの治療薬はたった500円で購入することができますが、貧困層の家庭にはその金額すら手を出すことが難しい。

 

もし一家の大黒柱を失ってしまえば、わずかの収入も途絶えてしまい、生活は一気に苦しくなります。そうなれば、「貧困でも幸せ」とは決して言えなくなるでしょう。

 

だから「貧困でも幸せ」という考えは、半分正解で半分不正解なのです。

 

貧困は、不幸になるリスクが大きい

たとえ経済的に貧しい生活だとしても、必要最低限の衣食住が保証され、子どもたちが学校に通うことさえ出来ていれば、多くの人が「十分に幸せだ」と語ります。特にモノに溢れていないアフリカの田舎に足を運べば、その傾向は強くなります。

 

まさに「足るを知る生活」ですね。

 

でも、病気や自然災害といったリスクに一度晒されるだけでも、貧困層の生活は急変して苦しくなってしまう。一言でいえば、貧困は不幸になるリスクが大きいのです。

 

だから、貧困層の人たちが直面するリスクを減らしたり、もしくは貧困層の人たちがリスクに適応できるように収入源を増やしたりするサポートが必要になるのです。

 

貧困は、人生の選択肢が少なくなる

貧困でも幸せ

南スーダン難民の赤ちゃん

 

今の世界では、お金があれば人生の選択肢が増えます。それが資本主義経済のルールです。

 

アフリカの田舎に行けば、たしかに自給自足の生活を送る人がほとんど。それでも生活必需品を購入したり、薬を手に入れたりするためには、やはりお金が必要になります。

 

逆に言えば、貧困は人生の選択肢が少ないことを意味します。

 

例えば日本では、新型コロナの影響で外出自粛が求められ、在宅で働く人の数も増えましたが、それが出来るのは「ある程度貯金があるから」「家にいながらでも仕事ができるから」です

 

でも、アフリカのほとんどの貧困層には、貯金がありません。その日暮らしで生活をする人がほとんどです。

 

パソコンやスマホで仕事ができる人なんてごく少数なので、お金を稼ぐためには外に出なければなりません。貧困層の人たちには、ステイホームという選択肢すら与えられていないのです。

 

普段はその日暮らしで幸せな生活を送っていた人たちも、コロナの影響で収入が途絶えてしまえば、一気に貧困に追いやられます。そんな時に家族の誰かが病気になれば治療費を払うことができず、そして家族が亡くなれば、それは不幸を意味します。

 

結論、貧困は不幸になるリスクが大きいのです。

 

貧困でも幸せ、の先を考えよう

冒頭にも書いたように、「貧困でも幸せ」という考え方に行き着くのは、初めて貧しい国に足を運んだ大学生あるあるだと僕は思います。

 

「貧困でも幸せなのではないか?」という気づき自体は、間違ってはいません。経済的に貧しくても幸せそうに生活する人を見て、そこから「本当の幸せとは何か」を考えることもできます。

 

ただ、「私が可哀想だと思っていた貧困層の子どもは、みんな幸せそうだった。自分が本当に国際協力をやりたいのか、分からなくなった。」と、悲観的に捉えてしまう人もいます。中にはそれで、国際協力の道を志すことを辞めてしまう人も。

 

でも、「貧困でも幸せ」という結論で終わらさずに、その先を考えてほしいのです。そして、その先を考えるために、もっともっと現場に足を運んでください。

 

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