フリーランス国際協力師の原貫太(@kantahara)です。先日、ウガンダ人パートナーのサイラスが活動対象地であるカラモジャに行ってきました。
※カラモジャ:ウガンダ北東部の地域名。ウガンダ国内では経済的に最も貧しく、開発から取り残されている。
今回のカラモジャ訪問でも、研修兼サポートという形で2名の日本人大学生が同行してくれました。今日は彼らに書いてもらった活動レポートを紹介します。
彼らが等身大の気持ちで綴ってくれた文章を読み、僕自身も国際支援の道を歩み出したばかりの頃を思い出しました。
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初めまして、現在短期大学の二年次を休学し、ウガンダ共和国に滞在している鬼追 成花(きおい なるか)と申します。
今回、原貫太さんの現地パートナーであるサイラス氏に同行し、原さんが実施しているプロジェクトに参加しました。今回、活動に参加して感じたことを記事に書いたので、たくさんの方に読んでいただけると幸いです。
首都カンパラから車で約10時間離れたカラモジャ地区。道中の街で車を停めるたび、ここぞとばかりに物売りの人たちが集まってきました。持ってくるものはペットボトルの水から焼き鳥、バナナなどのフルーツ、生きた鶏など様々です。
旅路を進めるにつれ、二階建ての建物やコンクートの建物が減り、代わりに煉瓦造りの平屋が目立つようになりました。景色が街から緑へと変化すると、同じく家屋もトタン屋根のものから茅葺き屋根のものへと変わっていきます。
それは恐らく、アフリカと聞いて私たち日本人がまず思い浮かべるだろう、そんな景色でした。
今回の訪問は、前回原さんらが行った時からプロジェクトにどのような経過が見られるか、その調査をすることが主な目的でした。そのため日数も限られていましたが、この体験から得たものはたくさんあったと感じています。
ここでは大きく二つのことをお伝えします。
地方訪問を通じて考えたウガンダのゴミ問題
カラモジャは、ウガンダの中で最も貧しい地域と言われています。実際、都市部に住むウガンダの人たちに「カラモジャに行く」と伝えると、「彼らの身なりは僕たちとは全然違うよ」と答える人も多かったです。
たしかに、カラモジャの人々の中には、ドロドロに汚れ、穴の開いた服を身にまとい、裸足で歩く人が多く見られました。これはカラモジャに限った話ではありませんが、都市部よりも圧倒的に多かったと思います。
そして、道端には土に混じってゴミが散乱し、場所によっては腐敗臭も鼻につきました。破棄されたゴミの多くは民家や商店のすぐ近くに山積みにされ、子どもたちがその周りで走り回っていたのです。
その一方、首都カンパラの近郊はどうでしょうか。私が初めてウガンダにやってきたとき、道端のゴミは嫌でも目に留まりました。残飯や紙、ペットボトルといったものだけでなく、靴下など衣類までもが雑然と捨てられています。
しかし、カンパラ近郊は、決して十分とは言えないまでも定期的に業者によるゴミ収集が行われています。それでもなお、ポイ捨てが常習化されているのが現状です。
国全体としてゴミ問題への意識が低いことに加え、処理方法が整っていないとなれば、カラモジャがカンパラと比べ、より悲惨な状況であることは想像に難くありませんでした。
カラモジャの街中でもゴミ箱は見かけましたが、わざわざそこに捨てに行く人の姿はほとんど見られません。こうして考えると、ウガンダのゴミ問題はかなり深刻であることが分かります。
私は今年4月からウガンダに滞在していますが、その間、街中で清掃活動のような光景を目にしたことはありません。ゴミが出たら草むらに投げ捨てる、落ちたごみは拾わない。残念ながら、私が今まで目にしたウガンダはこの印象が強いです。
もちろんウガンダにも、ゴミを出さないように努めたり、ゴミ拾いを行ったりする現地の方もいらっしゃいますが、日常の中ではなかなか目にできない光景です。それが地方になると、顕著に表れているように思います。
私は、この地方と都市部での意識格差を無くさなければならないと感じていました。そして、今回のカラモジャ訪問を通して、それは決して簡単なことではなく、時間の要することだとわかりました。
そこに住む人々にとって、ゴミが適切に処理されていないことが普通で、それによる環境被害や健康被害が起こりうる可能性について知識がないのだと感じます。少なくとも、カンパラ近郊のように処理システムが整うまでは、原さんらが行うようなアプローチがとても大切になるのだと感じました。
いま、世界中でゴミ問題が扱われていますが、私はその現状を目の当たりにし、焦りを覚えました。先進国でさえ深刻な問題とされ、具体的な解決策が見えているわけでもないのだから、ウガンダのような国は一体どうなるのでしょうか。
日本とのギャップに、改めて途上国ならではの問題があるのだと実感しました。
今回の訪問でもう一つ忘れられない出来事と出会いました。それは、二日目に訪れた小学校から子どもたちの住む村に移動していた時のことです。私に近寄ってきた子どもが「カンタはどこにいるの」と私に尋ねました。
私は小さいころから外国を知る機会がたくさんありました。テレビで放送される旅番組や小学校で教わる英語の歌、海外のアニメなど、知らず知らずに日本以外の国と繋がっていました。
今ではインターネットを通して簡単に海外の情報を得ることができます。そして、そのなかには人生を変えるようなものもありました。
けど、彼らは違います。多少は海外についての知識があっても、私たちのように情報を得る機会はかなり少ないものでしょう。私はそこに国際協力の意義があると思いました。
ただ支援をするだけではなく、支援を通して広い世界を知ることができる。支援に来た人と触れ合うことで、他国と繋がれるのだと思います。
そしてそれは、支援に来るということがある種、日本の看板を背負っているということも意味します。私が出会った人々の中には、もしかすると二度と日本人と出会うことがない子どもがいるかもしれません。その時に私はその人たちが日本に興味を持ち、少しでも素敵な国だと思ってもらえるような立ち振る舞いでありたいと思っています。
誰かが次にその人に会ったとき、日本と聞いて私の名前を挙げてくれるほどに。