「1994年に起きたルワンダ内戦。なぜ国連PKOはルワンダでの虐殺を止めることができなかったのか?」
このような疑問にお答えします。
フリーランス国際協力師の原貫太です。ルワンダには過去3回足を運び、虐殺の跡地で取材活動を続けてきました。
多数派のフツ族の手によって、少数派のツチ族50万人以上が犠牲になったルワンダ虐殺。
ルワンダ内戦がこれだけの規模になってしまった大きな原因が、国連やアメリカのような大国がルワンダに介入しなかったことです。
なぜ国連PKOは、ルワンダ内戦を止めることができなかったのか?ルワンダ内戦の歴史を詳しく見ていきましょう。
- 国連PKOはルワンダ内戦前の「密告」を無視した
- 国連PKOの目的はルワンダ内戦の停戦を監視することだけ
- アメリカがルワンダから国連PKOの撤退を呼び掛けた
- 資源の乏しいルワンダに国連加盟国は無関心だった
- さいごに
YouTubeでも解説しました。ルワンダ虐殺の跡地で撮影された映像も使っているため、動画のほうが分かりやすい方はこちらをご覧ください。
国連PKOはルワンダ内戦前の「密告」を無視した
1994年のルワンダ内戦が始まる約3ヶ月前。当時ルワンダに駐留していた国連PKO「国際連合ルワンダ支援団」の司令官であるロメオ・ダレールの元には、ツチ族虐殺の密告が届いていました。
この密告を受け、ダレール司令官は国連本部にフツ族民兵の武器庫制圧を提案します。
しかし、フツ族民兵の武器庫を制圧することは、国連PKOに与えられた権限を越えるものとして、国連本部はロメオ・ダレールの提案を却下したのです。
これが、ルワンダ内戦を国連PKOが未然に防ぐことができなかった大きな原因になりました。
この判断を下したのは、当時国連平和維持活動局のPKO担当であり、後に国連事務総長になるコフィ・アナンでした。
この失敗はコフィ・アナンの負の遺産として、今でもルワンダ政府などから批判されています。
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フツ族ツチ族の違いはベルギーが作り出した【ルワンダ虐殺の背景をわかりやすく解説】 - 原貫太の国際協力ブログ
国連PKOの目的はルワンダ内戦の停戦を監視することだけ
ルワンダに駐留していた国連PKOには、なぜフツ族民兵の武器庫制圧が認められなかったのか?
その理由は、国連PKOの目的はあくまでも、ルワンダ内戦の停戦を「監視」することのみだったからです。
つまり、国連PKOが武力を行使して内戦に介入することは、PKOの性質上認められませんでした。
当時のルワンダではフツ族とツチ族の間で長年内戦が続いており、虐殺が始まる1994年前半時点では、ルワンダ内戦は停戦状態にありました。
ルワンダに駐留する国連PKOの目的は、あくまでもPeace ”Keeping”(平和の維持)であり、Peace ”Forcing”(平和の施行)ではありません。
国連PKOが武装している理由も自衛のためとされ、武器を使用するためにはニューヨークにいる国連事務総長の許可が必要でした。
ダレール司令官はルワンダ虐殺の開始後、国連から与えられた任務を無視して住民保護活動を行います。その様子は映画『ホテルルワンダ』の中でも描かれていましたね。
国連本部からは任務に従うよう指示をされていましたが、その後も国連本部からの指示を無視し、逃れてきた難民を保護しています。
しかし、人員不足から積極的な保護行動を行うことは出来ず、目の前で殺され続ける多くのルワンダ人を救うことが出来ませんでした。
ダレール司令官は人員の増加や任務の強化を国連に求め続けていましたが、その要望は拒否され続けたのです。
その後ダレール司令官は、ルワンダでの体験から心的外傷後ストレス障害(PTSD)となり、2000年には自殺未遂をしています。
アメリカがルワンダから国連PKOの撤退を呼び掛けた
ルワンダ内戦を国連PKOが止められなかったのは、国連安保理で常任理事国を務めるアメリカの責任も大きいです。
なぜならアメリカは、ルワンダ内戦の当時、ルワンダから国連PKOを撤退させることを呼び掛けたからです。
アメリカはルワンダ内戦が始まる前年の1993年までは、世界の平和維持活動を積極的に行っていました。
アメリカの国益に繋がるからという理由で平和維持活動を行っていた背景もありますが、一部の研究者たちは「この期間のアメリカによる軍事介入は、真に人道的に行われていた」と指摘しています。
しかし、映画『ブラックホーク・ダウン』でも描かれたように、ソマリア内戦へ平和維持軍として軍事介入を試みた結果、アメリカ兵18人が死亡します。
遺体が市内を引き回される映像が流される、アメリカの世論は紛争地への介入に対する消極的な姿勢へと傾きました。
その為、ルワンダ内戦が起きた当時のビル・クリントン大統領は、ルワンダ内戦にアメリカが関与することに対しても消極的になります。
その結果、アメリカが常任理事国を務める国連安全保障理事会も、ルワンダ内戦の時には無能になったのです。
実際にアメリカは1994年4月、ルワンダから国連PKOの撤退を呼び掛けています。
また、ルワンダ虐殺が起きた後には、アメリカ政府は「ジェノサイド」という言葉を使うことを躊躇しました。
仮にルワンダで進行中の内戦を「ジェノサイド」と認める発言をすると、「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」の批准国としてルワンダに介入する必要性が生じるため、ジェノサイドという言葉を使うのを避けたのです。
また、ルワンダ虐殺が始まってすぐの頃、ベルギーの平和維持部隊兵10名が民兵によって殺害されたこともあり、国連は安保理決議912号を可決します。
これによってルワンダに派遣されていた国連PKOは2500名から、4月21日には300名まで削減されました。
虐殺が始まってすぐベルギー兵が殺害されたのは、たまたまではありません。
虐殺を主導したルワンダの民兵たちは、知っていたのです。外国人兵士を殺せば、ソマリア内戦の時と同じように外国の邪魔者たちは撤退していくことを。
ルワンダ内戦当時のビル・クリントン米大統領は、ルワンダ虐殺後にこう述べています。
私たちが虐殺を終わらせられたとは思わないが、減らすことはできたと思う。
もしアメリカから国連PKOを5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている。
資源の乏しいルワンダに国連加盟国は無関心だった
もしもルワンダが資源の豊富な国であったり、地政学上重要な意味を持つ国であれば、国連加盟国はPKO派遣を通じて、ルワンダ内戦に介入したかもしれません。
しかし、現実的にはルワンダは資源には乏しく、アフリカの小国だったため、ルワンダに関心のある国はごく少数でした。
国連安全保障理事会の常任理事国は、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国の五ヶ国です。アフリカは一つも入っていません。
ルワンダは資源が乏しく、また当時の人口も約800万人と、当時はアフリカの中でも小国に分類されていました。
冷戦時代の資本主義陣営対共産主義陣営の対立も終わり、国際社会(国連加盟国)はルワンダ内戦に介入する意義が見いだせなかったのです。
その一方、自分たちの国益に関わりのあるような、ヨーロッパで起きていた旧ユーゴスラビアのボスニア紛争には、国連をはじめ国際社会は積極的に介入しました。
実際に、ルワンダのPKO部隊員を削減する安保理決議が可決された日と同じ日に、ボスニアにおける安全地帯防衛の堅持を確認した国連安保理決議が通過しています。
国連加盟国がルワンダに介入する価値や意義を見出せなかったことも、国連PKOがルワンダ内戦を止められなかった大きな理由です。
さいごに
国連PKOがルワンダ内戦を止めることができなかった理由を解説しました。
ルワンダ内戦における国連の力不足について振り返ると、国連PKOの仕組みや安全保障理事会における拒否権など、国連が抱える様々な問題も見えてきます。
結局、国連という組織は無能なのか?国連が抱える決定的な問題点を以下の記事で解説しているので、あわせて読んでみてください。