平和と戦争。この二つは反対の意味を持つ言葉として、よく一緒に使われています。
しかし、実際の世界に目を向けてみると、戦争は起きていなくても、貧困や抑圧、環境破壊といった社会問題が蔓延している国はたくさんあります。日本も例外ではありませんよね。
平和の反対は、戦争ではありません。平和の反対は戦争ではなく、暴力(直接的暴力と構造的暴力)が存在する状態を指すのです。
平和の反対は「戦争」ではなく「暴力」
平和の反対は「戦争がある状態」ではなく、「暴力がある状態」を指します。
ここで言う「暴力」とは何か。ノルウェー出身の平和学研究者ヨハン・ガルトゥングの言葉を使うと、この暴力は大きく二つに分けることができます。
- 構造的暴力…貧困・飢餓・差別・抑圧などの不公正な状況を生み出す社会構造によってもたらされる、行為の主体が明確ではない暴力。
- 直接的暴力…暴力の主体が明確なもの。戦争やテロ、家庭内暴力など。
※この他にもガルトゥングは「文化的暴力」を提唱していますが、この記事では割愛します。
「平和の反対は戦争」と定義してしまうと、戦争やテロなど、行為の主体、つまり誰がその暴力を生み出しているかが明確な「直接的暴力」しか考慮することができていません。
しかし、冒頭にも書いたように、戦争やテロといった直接的暴力が存在しない国であっても、貧困や差別、経済格差、環境破壊など、その暴力を生み出している行為の主体が不明確な「構造的暴力」が存在する場合もあります。
そのため、平和の反対は「直接的暴力」を意味する戦争だけではなく、「構造的暴力」も考慮した広い意味での「暴力」と定義するべきなのです。
平和の反対は混沌…?
ネットで「平和の反対」と検索してみると、「平和とは秩序が保たれている状態を指すので、その反対は混沌である」という回答が見られます。
感覚的にはこれも理解できますが、まず「秩序が保たれている状態」というのは、定義することが難しいです。
また、混沌や混乱が存在せず、秩序が保たれているとしても、貧困問題が存在するとしたら、それは平和と呼ぶことが出来るでしょうか?
この後にも詳しく解説しますが、例えば東京は世界的に見ても治安が良く、建物や道路もよく整備されています。何か問題が起きればすぐに警察が出動してくれるし、基本的には秩序が保たれている状態です。
しかし、街を見渡せば路上生活を送っているホームレスがたくさんいます。また、表には見えない部分では、貧困に苦しんでいるシングルマザーの人たちもいるでしょう。
こういった社会問題に直面している人たちが多数いるにもかかわらず、その状態を「平和」と呼んでしまうことに、あなたは違和感は感じませんか?
積極的平和・消極的平和とは何か?
平和学の父であるヨハン・ガルトゥングは、平和には「消極的平和」と「積極的平和」の二種類があると主張しています。
- 消極的平和(Negative Peace)…戦争は起きていないが、貧困や抑圧、環境破壊などの「構造的暴力」が存在する状態
- 積極的平和(Positive Peace)…戦争がなく、かつ「構造的暴力」も無くなった、本当の意味で人々が平和に暮らしている状態
ガルトゥングが「積極的平和」を初めて提唱したのは、1969年の論文『暴力、平和と平和研究』("Journal of Peace Research" Vol.6, No.3)でした。冷戦時代の当時は、「平和の反対は戦争」と当然のように考えられていたため、平和学研究者の間では大きな衝撃が走ったようです。
でも、少し考えてみれば、あたりまえのことを言っていることがわかりますよね。
例えば現在のアフリカ諸国では、植民地支配からの独立を機に多くの国で勃発した内戦は終結していますが、いまだに1日200円以下で生活する「絶対的貧困層」がたくさんいます。
戦争が存在しないからと言って、貧困や飢餓、経済格差の問題がある限り、その国を「平和だ」と呼ぶことは、感覚的にもおかしいことが分かるはずです。
現在の日本は、本当の意味で平和ではない
「平和の反対は戦争ではなく暴力」というのを深く理解するために、日本を具体例にして考えてみましょう。
第二次世界大戦が終わってから75年間、日本では戦争が起きていません。この場合、朝鮮戦争やイラク戦争に対する間接的な関わり方は除き、日本国内での戦争のみにフォーカスしています。
一方で、新宿や渋谷に行けば、路上で生活する貧困層のホームレスがたくさんいます。2018年厚生労働省による調査では、ホームレスは日本全国300の市区町村におり、その数は4,977人にも上るらしいです。東京だけでも1,242人がいます。
ホームレスの問題以外にも、現在の日本では
- 貧困に苦しむシングルマザー
- 働いても働いても貧困から抜け出せないワーキングプア
- 6人に1人の割合と呼ばれる子どもの貧困問題
- 一方で拡大していく富裕層と貧困層の経済格差
- 福島原発事故による環境破壊や国内避難民の問題
など、社会の仕組みに埋め込まれた「構造的暴力」によって引き起こされる社会課題がたくさん存在しますよね。
先ほど、消極的平和とは「戦争は起きていないが、貧困や抑圧、環境破壊などの構造的暴力が存在する状態」と書きました。現在の日本では戦争(=直接的暴力)は起きていないため、「消極的平和」の状態ではあります。
一方で、貧困や格差、環境破壊といった社会課題は数多く存在するため、「積極的平和」と呼ぶことはできません。
本当の意味での平和とは、直接的暴力が存在しない状態の「消極的平和」ではなく、直接的暴力と構造的暴力、そのどちらもが存在しない「積極的平和」が保たれている状態を指すべきです。
その意味で、僕たちが暮らす現在の日本は、本当の意味で平和が実現された社会とは呼ぶことができないのです。
まとめ
もう一度まとめると、
- 平和の反対は戦争ではなく、暴力が存在する状態を指す
- 暴力には直接的暴力と構造的暴力がある
- 直接的暴力は行為主体が明確。戦争やテロリズム、DVなどを指す
- 構造的暴力は行為主体が不明確。貧困や抑圧、環境破壊などを指す
- 消極的平和は直接的暴力の存在しない状態、積極的平和は直接的暴力と構造的暴力のどちらもが存在しない状態を指す
- 本当の意味での平和は、戦争だけではなく、暴力全体が存在しない状態を指す
アフリカで数年間支援活動に携わった中で感じた「世界が平和にならない理由」をこの記事で書いています。あわせて読んでみてください。