しばしば訊かれる質問がある。
「なぜ原さんは学生団体を立ち上げてまで、バングラデシュのストリートチルドレン問題に取り組むことを決めたのですか?」
自分でも、未だに考える事がある。なぜ、決意することが出来たのか。
活動を重ねていけばいくほどに、様々な想いや考えが湧いてきてはいるが、その中でも特に、
「ストリートチルドレン問題に対して問題意識を強く、そして明確に持った」
「自分と他者(=バングラデシュのストリートチルドレン)の『繋がり』を感じ、そしてそれが当時の私には新鮮で、価値ある感覚だった」
「もう逃げてはだめだ。目を背けてはだめだ。」
という、3つの気持ちが大きいと考えている。
強く、そして明確に問題意識を持った
一つ目の想い、「ストリートチルドレン問題に対して問題意識を強く、そして明確に持った」について、まず書かせてほしい。
私が「国際協力」(国際協力と言っても人それぞれ定義や意味づけが違うため、ここではあえて「 」を付けている)という世界に足を踏み込む最初のきっかけは、まだ私が大学1年生だった頃、2014年春に参加したフィリピンでのスタディツアーだ。子の原体験についてもしばしば訊かれるため、ぜひ以下の記事を参照してほしい。
そのスタディツアーは、ストリートチルドレンパンやお菓子を配る求職活動を行ったり、スラムと呼ばれる貧しい人々が暮らす地区を訪ねそこで生活している子どもたちと交流したり、孤児院を訪れて勉強を教えたりなど、現地滞在期間はたったの6日間、至って普通のスタディツアーだった。
そして私自身も、何か特別な想いを抱えて参加したわけではなく、「この春休みは海外に行きたい」「他の人とは違った経験をしたい」「就職活動をする時に使える話題が欲しい」といった、短絡的な動機で参加した。
確かに出発前は(初めての一人出国だったため)ひどく緊張してはいたが、今思い返しても深く考えることもなくスタディツアーに参加しようとしていたことが、懐かしく思い出される。
私はフィリピン、主には首都マニラに滞在中、いわゆる「ボランティア活動」を全力で楽しみ、彼らの「笑顔の裏」に潜んだ、もっと言えば途上国が抱えた様々な問題に目を向けようとはしていなかった。
現地滞在最終日。6日間の活動を終えた私は、疲労感と共に達成感のようなものを感じながら、日本への帰路に就くためマニラ国際空港に車で向かっていた。「あぁ、やり切ったな。日本に帰ってからも自分にやれることを続けよう」。
そんなことを考えながら、ふと窓の外へと目を向けると、車がひっきりなしに通る3車線の道を、車と車のせまい間を通り抜けながら、車の窓ガラスを叩いて物乞いをする一人の少女がいた。彼女は、裸の赤ん坊を抱えていた。
私はその時、自分の目の前で今何が起きているのか、彼女がなぜそんな場所にいるかが、すぐに理解できなかった。今考えてみれば、そのような光景は途上国ではよく見られる光景であり、つまり帰りがけの観光客からお金を少しでも多く恵んでもらうための「やらせ行為」ではあったのだが、いずれにせよ当時の私は、その光景に大きな衝撃を受けた
(たとえやらせであっても、「危険な状況下で物乞いをしなければならない幼い子どもが存在する」ということ自体が、問題だと呼べるだろうが)。
そして私は、
「この6日間、散々色々な場所を訪れて困っている子どもたちを助ける活動をしてきたのに、まだここにも困っている子どもがいる。それも、今まで出会ってきたどの子どもよりも、困っているように見える。
この6日間で自分がやってきたことは、一体何だったのだろうか。本当に意味がある活動だったのか。他にも、もっと目を向けるべき問題、やるべきことがあったのではないか」
と、強い後悔に襲われた。
同時に、「なぜ、お腹が空けばコンビニに入って簡単にお菓子を買えるような日本の小学生がいる一方で、その日食べるものを得るために、危険な目に遭ってまで物乞いをしなければならない途上国の幼い子どもがいるのだろう」と、大きな“世界の不条理”を痛感した。
そして、ただ物乞いをする少女を呆然と見ているだけの自分の無力さに絶望し、空港に到着した後トイレに駆け込んだ私は、泣いた。ただただ、悔しかった。言葉にならないほど、悔しかった。
自分という人間がいかに未熟か。この世界がいかに残酷か。いかに不条理か。痛いほど感じた。集合写真の私の顔は、目が死んでいた。
しかし、その時の私は感情に翻弄されてしまい、そこに潜んだ問題の本質へと冷静に目を向けることができなかった。社会貢献活動や国際協力活動を行う上で、まず大切になる「問題意識」というものを強く、明確に持つことが出来ていなかったのだ。
フィリピンから日本に帰国した後の私は、「ストリートチルドレンの問題に対して、何か自分にやれることをやりたい」といった単純な動機、また「何か新しいことに挑戦したい」という抽象的な動機で、大学の友人たちと共に動き始めた。
そして、「アジアで最も貧しい国」という一つのキーワードを元にしながら色々な文献にあたる中で(実際、当時の私は、本当にバングラデシュが「アジア最貧国」なのかどうかも大して調べていなかったのだが…)、
「バングラデシュでは、首都ダッカだけでも親元を離れて路上で生活しているストリートチルドレンが33万人以上いる」
という記事に、大きな衝撃と一種の焦りを覚え、バングラデシュという国に目を向けた。今思い返せば、その一文を見た時、「私がフィリピンの最終日に出逢った少女のような子どもが、バングラデシュにはもっと多くいるのではないか」と、ふと心の中にフィリピンの少女の姿が浮かんでいた。
そして、その年の9月に実施した、初めてのバングラデシュ現地渡航。
ポリオを患っているにも関わらず、物乞いに使われている男の子。ボロボロの服を着て、裸足で荷物運びの仕事に携わる男の子。いつ襲われてしまってもおかしくない、路上で一人横になる女の子。
現地滞在中、私は改めて"世界の不条理"を痛いくらい感じた。しかし、同時に、そこにある「ストリートチルドレン」という問題を冷静に捉え、思考することが出来ていた。その時初めて、「本来守られるべき存在の子供たちが、大人の保護監督無しに路上で生きている現状」という問題意識を強く、そして明確に持つことができた。
バングラデシュに行く前に一人図書館に籠ってストリートチルドレン問題について勉強したり、連日のミーティングでストリートチルドレン問題や団体の方向性に関するディスカッションを重ねたりと、フィリピンでの経験からバングラデシュのその瞬間に至るまでの自分の経験・努力も間違いなく影響しているだろうが、この世界に腐るほど問題がある中でも、ストリートチルドレン問題に対して強く、明確に問題意識を持った。
これが、私がバングラデシュ国際協力隊のメンバーとして、バングラデシュのストリートチルドレン問題に取り組むべき理由となる、一つ目の想いである。
自分と他者の「繋がり」
次に、二つ目の想い、「自分と他者(=バングラデシュのストリートチルドレン)の『繋がり』を感じ、そしてそれが当時の私には新鮮で、価値ある感覚だった」について書きたい。
自分の人生で間違いなく一つのターニングポイントになったであろうフィリピンでの原体験をきっかけに、私は生まれてから初めて、ストリートチルドレン問題、もっと言えば“世界の不条理”に真剣に目を向け始めた。図書館に籠って色々な本や論文を漁り、ストリートチルドレン問題について一人で日々勉強した。
ミーティングでは友人たちと毎日のように議論を重ね、自分たちの組織はどうあるべきなのか、ストリートチルドレン問題に対してどう向き合うべきなのかを考え、寝る間も惜しんで活動に取り組んだ。夜中の3時まで、Skype(ビデオ通話)を使ってミーティングしていた思い出が、今となっては懐かしい。
そのような過程があったからこそ、第一回現地渡航(2014年9月)でバングラデシュのストリートチルドレンと向き合った時、彼らの存在は、もう自分とは、自分の生活とは無関係のものだとは思えなかった。
バングラデシュのストリートチルドレン問題を、もう「どこか遠くの世界の問題」では終わらせられなかった。これまで自分の身の回りのことばかりを考え、そして恵まれた環境の中で生まれ育ってきた私だからこそ、そこで芽生えた想いは新鮮で、価値あるものだと感じた。自分と他者(=ストリートチルドレン)の「繋がり」を感じた。
逃げずに、前を向いて立ち向かう
そして3つ目の、「もう逃げてはだめだ。目を背けてはだめだ。」という想い。これについて書く前に、少しだけ私の過去の話をさせて欲しい。
私はまだ小学生だった頃、約2年間不登校だった。正しく言えば、教室には入らず、保健室や図書館に通学する形を取っていたのだが、いずれにせよ私は「一般的な」小学生として学校に通うことができていなかった。
自分が納得できないことが許せない性格で、小学生ながら生意気に、あらゆることに対して反発していた。そして担任との関係が悪くなり、周囲の友達とも上手くいかなかった。上履きのまま学校を飛び出して、家まで帰ったことも数えきれない。
そして私は、不登校になった。
良く言えば、曲がったことが嫌いだったのかもしれないが、実際は相手を非難することで、自分が受け入れられない現実から逃げていたのだろう。両親、友達、先生など、数本当にたくさんの人に迷惑をかけてしまった。
両親には中学以降の生活を心配されたが、入学した学校の雰囲気、特に男子校の少し独特な雰囲気が自分に合い、学校生活に溶け込めた。中学から始めた水泳ではめきめきと力を伸ばし、全国大会に二度出場。学業では学年トップレベルの成績を常に維持していた。
しかしそんな私も、高校3年生の時に大きな挫折を二つ味わった。一つは水泳で、もう一つは大学受験で。
端的に言えば、私は辛い水泳の練習から、逃げた。受験勉強を言い訳として、逃げた。「勉強するから今日は練習サボろう」「勉強で疲れているから今日の練習は手を抜こう」。結果的には、色々な人から期待されていた高3でのインターハイ出場を逃し、それまでお世話になった家族や先生、水泳のコーチなどに恩返しすることが出来なかった。
そして、高校最後の大イベント、大学受験でも私は逃げた。いや、逃げる癖が自然とついていたのかもしれない。水泳部を引退後、1日17時間の勉強を続けるうちに精神的におかしくなり、言わば「強迫性障害」のような症状を患った。
「もしかしたら自分は癌なのではないか」「公衆トイレに血が付いていたような気がする。病気が自分に移っていたらどうしよう…」と、自分自身に対してまさに疑心暗鬼になり、勉強が全く手に付かなくなってしまった。
今では、冷静にこのように書いていられるが、今当時の自分を思い返してみると、本当に気が狂っていたとしか言いようがない。
ところが、受験が終わった途端、その症状はさっぱり消えた。結局、受験のプレッシャーから逃げていたのだと思う。結果として第一志望の東京大学に合格することができず、水泳と同じく、親や先生、先輩や後輩、友人など、応援してくれていた方々に恩返しできなかった後悔は、今でも消えない。
しかし、これらの後悔は、私が様々な活動を行うための原動力の一つになっている。いや、少なくとも原動力の一つにしたいと考えている。
第一回現地渡航で改めて“世界の不条理”を痛感し、私は、そこにある彼らストリートチルドレンのことを考えた。辛い状況に置かれているにも関わらず、毎日を力強く生きているストリートチルドレンの姿を見ながらも、彼らがこれまで経験してきた大変な過去、今直面している厳しい現実、決して明るいとは言えないではずの未来を考えた。
そしてその時、「この問題から逃げたい、目を背けたい」とも思った。しかし、それを上回ったのが、「もう逃げてはだめだ。目を背けてはだめだ」という強い気持ちだった。自分自身の人生を振り返ったとき、今度こそ”世界の不条理”に挑戦しようと決意した。
今まで述べてきた3つの想い、-「ストリートチルドレン問題に問題意識を強く、そして明確に持つことが出来た」「自分と他者(=ストリートチルドレン)の『繋がり』を感じた、そしてそれが当時の私には新鮮で、価値ある感覚だった」「もう逃げてはだめだ。目を背けてはだめだ。」-、から、私はバングラデシュ国際協力隊という組織の一員として、バングラデシュのストリートチルドレン問題に取り組むことを決意した。
初めての現地渡航を終えた時、この3つの想いが湧き上がっていなかったら、当時の私は、別の問題や、別の国へと目を向けていたかもしれない。
先にも述べたが、私が「国際協力」の世界へと真剣に目を向ける事に繋がった最初のきっかけは、フィリピンでのボランティア活動に参加したことだった。路上で物乞いをしている一人の少女が、私の人生を大きく変えた。彼女の物乞いをする様子を見て、私は“世界の不条理”を痛感した。
そして同時に、この”世界の不条理”をただ仕方のないものとして受け入れてしまうのではなく、どれだけ微力であったとしても、立ち向かいたい。“世界の不条理”に挑戦したい。そう強い信念が私の中に芽生えた。
「国際協力」という世界は、時に私たちに「無力感」を突き付けてくる。世界の現状を知れば知るほど、無数に不条理が存在していること、無数に困っている人たちが存在していることを、私は学んだ。
フィリピンのあの少女以外にも、同じ境遇に置かれている子どもたちが、いやそれよりも酷い状況に置かれている子どもたちが、世界には沢山存在することを学んだ。ストリートチルドレン問題以外にも、アジア以外にも、私たちが目を向けて、取り組むべき問題が存在することを学んだ。
正直に言おう。今、バングラデシュ国際協力隊のメンバーとしてストリートチルドレン問題に取り組んでいたとしても、「自分には、他にもっとやるべきことがあるのではないか?」という思考・葛藤は、「国際協力」を学ぶ中で日々強くなっていく。世界は広い。広すぎるくらい、広い。
だから私は、この思考と葛藤に終わりなどきっと存在しないと思っている。せいぜい80年の人生では、世界中の問題全てを、世界中の困っている人全てを知ることなんて、到底できないから。
この思考・葛藤は、いつまでも私を苦しめ続けるのだろう。これまで述べてきた「3つの想い」も、当時の自分を後から振り返れば言える事であり、これから私が人生で向き合う”世界の不条理”、出会う人々全てに対して、この「3つの想い」が通用することは、きっとないように思える。
だけれども私は、この“世界の不条理”に挑戦し続けたい。どんな苦しみがあろうとも、どんな困難があろうとも、挑戦し続けたい。フィリピンの少女と出会ったとき、純粋に抱いたあの気持ちをいつまでも持ち続けたい。
その想いだけは、誰に馬鹿にされようとも、誰に否定されようとも、持ち続けたい。そう強く自分に言い聞かせ、私は前を向き、今この時を生きる。