日本では「自立」という言葉は「独立=独りで立つ」と同じ意味で使われることが多い。
例えば親が子どもに「自立しなさい」と言う時、それは「親に依存することなく、社会的・経済的に、一人(独り)で生活できるようになれ」を暗に意味している。少なくとも僕はそういった印象を抱く。
あたりまえのように使われる「自立」という言葉だが、普段生活する中で、その意味を真剣に考えたことがある人は少ないのではないだろうか?
僕は今年5月末、適応障害という心の病気を患い、働けない身体になってしまった。一時期はプライドがボロボロになり、何のために生きているのか感じられない時もあった。
しかし、その経験は僕に「自立」の本当の意味を考えさせるきっかけにもなった。自立とは困った時に頼れる依存先を持ちながら、自分らしく生きることだ。
ある日突然、働けない身体になった
昨年5月、まだ学生だった時、僕はアフリカ支援の団体を起業した。本の自己出版や講演、ブログ執筆といった活動と並行しながら、南スーダン難民支援も立ち上げるなど、脇目も振らずに突っ走っていた。
「原さんは期待の若手活動家だね」周りからはそんな言葉をかけてもらいながら、自分でも調子に乗り、休むことなくひたすら働き続けていた。
しかし、自分でも気づかぬ間に疲労やプレッシャーが蓄積されていったのだろう。今年5月末、僕は適応障害という心の病気を患い、大好きだったはずの仕事ができない身体になってしまった。
大学在学中からアフリカで働いたり、本を書いたり、講演をしたりと、それなりに道を切り拓いてきた人間が、ある日突然、家族のサポートなしには日常生活すらままならなくなってしまった。
バリバリ働いてきた人間だったからこそ、丸一日家で休養するだけの生活には、なかなか馴染むことができなかった。
「本当に休んでいてもいいのだろうか。」そんな葛藤が僕を苦しめた。
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心の病気をきっかけに、自立の意味を真剣に考えた
だが、適応障害という病気を患った経験は、僕に「自立」の意味を考えさせる大きなきっかけにもなった。
「自立」という言葉は、あたりまえのように使われているからこそ、その意味を真剣に考える人は少ない。僕自身、これまでは「大学を卒業したら、親から自立して暮らさないと。」くらいの文脈でしか、自立の意味を考えたことはなかった。
しかし、病気の身体になり、周りからのサポートを受けながら生活する身になると、「自立」の本当の意味とは何なのか、どんな状態が「自立」を指すのか、いやでも考えさせられる。
自立と独立を同じ意味で捉えがちな日本
僕たちが暮らす日本では、「自立」と「独立」は、同じ意味合いで使われている印象を受ける。
「独立」は、その言葉の通り「独り立ち」を意味する。さらには「周りとの関係を切り離すこと」もその意味に含まれているように感じる。
親が「子どもを『自立』させなくては」と思う時、例えば子どもが大学生の家庭であれば、「会社に就職し、自分で生活できるようになる」など、「親元から離れて、一人で生きていく」といった意味が「自立」には込められている。
いずれにせよ、これらの「自立」は、「独立」と同じ文脈で使われることが多い。
アフリカの活動から学んだ自立の意味
「自立」という言葉の意味を辞書で引いてみると、「他への従属から離れて独り立ちすること」と記載されている。この捉え方は少なからず、日本社会の生き辛さに繋がっていると僕は思う。
アフリカの紛争被害者を支援する団体で働いていた時、難民の方たちと向き合う過程で、自立の本当の意味は「周囲との豊かな関係性を維持しながらも、自分らしく生きること」と学んだ。
実際に、紛争被害を受けた人たちが経済的・社会的な自立を果たしていく時、それは同時に、彼らが周辺に暮らす住民との良好な人間関係を構築し、かつ自分にとっての「生きがい」や「自己実現できる場所」を見つけることも意味していた。
多くの紛争被害者にとってそれは、村での共生や助け合い、また誇れる仕事を手にすること、生まれた子どもに愛情を注ぐことだった。
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病気になって気づいた本当の自立とは
今年5月末、適応障害を患い、僕は日常生活すら十分に送れなくなってしまった。自分一人の力だけでは、どうしようもない状況に置かれた。
社会的に弱い立場に置かれた人の気持ちは、当事者になって初めて痛感できる。アフリカで出会った人たちの顔が、自然と少しだけ思い出された。
しかし、そんな苦しい時期であっても、周りの家族や友人は僕を支えてくれた。もしも、「あなたは『自立』するべき身なのだから、自分一人の力で何とかしなさい。」と言われていたら、病気を克服することはできなかったかもしれない。
自立とは、「他への従属から離れて独り立ちすること」を意味するのではない。病気になり、周りから支えてもらっていることを実感できたからこそ、「困った時に頼れる依存先を持ちながら、自分らしく生きること」が、自立の本当の意味ではないか。僕はそう感じた。
人間は誰しも弱さを抱えながら生きている。毎日働き、複雑な人間関係の中で暮らしていれば、自分の力だけではどうにもならない状況に直面することはきっとある。
そんなとき、一人だけでその困難を乗り切るのではなく、出来ることは自分の力で解決するが、どうしてもダメな時は周りの人たちに助けを求める。少なくとも、周りに助けを求められるだけの豊かな人間関係を日頃から築いておく。
これが、本当の「自立」なのではないだろうか。
自立の意味が変われば社会人の「鬱」は減ると思う
「困った時は周りに頼っていい。それもまた、自立なんだよ。」
そう言葉をかけられる人が増えるだけでも、社会人の「鬱」は減ると思う。自ら命を絶ってしまう人の数も、今よりは少なくなるのではないか。
僕は今年一月にも、精神的に不調になった時期がある。いや、5月に発症した適応障害の兆候が出始めていたと考える方が正しいかもしれない。
その時は自分のプライドなんか捨て、悩みや苦しみを周りに打ち明けることで気が楽になっていた。困った時は一人で解決するのではなく、周りの力に頼っていい。そう感じられた経験だった。
大人になるにつれ、「何事も自分の力で解決しなくては」と感じてしまう人が多い。でも、「困った時、どうにもならない時は、プライドや恥なんか気にすることなく、周りに頼っていい。そのための人間関係を日頃から築いてこう。それもまた、自立なんだ。」と言える人が増えるだけで、社会は少しだけ生きやすい場所になると思う。
適応障害を患った経験から、僕はそう感じることができた。
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”真”の自立の意味はすでに唱えられていた
困った時に頼れる依存先を持ち、周りとの豊かな関係性を維持しながら、自分らしく生きること。
アフリカでの活動や病気を患った経験から、自立の本当の意味を考え直すことができた。
でも、”真”の自立の意味はすでに唱えられていたようだ。
ほんの一例に過ぎないが、脳性まひ障がいを抱えながら、医師や研究者、作家として活躍する熊谷晋一郎さんは、あるインタビューにこう答えている。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
(中略)
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
(「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」より引用)
あたりまえのように使っている「自立」という言葉も、普段生活している限り、その意味を真剣に考える機会はほとんどない。
僕は適応障害という病気になったことで、自立の本当の意味を考えることができた。辛い気持ちもたくさん味わったが、それによって自分の生き方さえ再考することができた。
あなたにとって「自立」とは、何を意味するだろうか。この記事をきっかけに、少しだけ考えてもらえたら嬉しい。
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