いくら自己啓発を重ねたところで、行動しない限りは何も現状を変えることはできません。自己啓発も大切ですが、行動を起こしながら考えるようにしましょう。
この夏、南スーダン難民支援に2カ月携わってきた原貫太(@kantahara)です。
本を書いたり、起業したり、アフリカで働いたりと、僕はそれなりに「行動」を起こしてきた大学生だと自負しています。
それゆえか、大学生の自己啓発セミナーなんかを見ていると、ちょっと胡散臭さのようなものを感じてしまうんですよね。
自己啓発セミナーでは、みんなで顔を突き合わせながら
・挑戦するとは?
・モチベーション維持のメカニズムとは?
・私たちはどう生きるべきなのか?
なんかを議論していますが、「そんな理論・理屈を話し合っている暇があるなら、その間にドンドン行動を起こせばいいのに」と感じてしまいます。
自己啓発セミナーが大好きな大学生に限って、「じゃあ、今はどんなことをやっているの?」と質問すると、実際は大した行動を起こしていないケースが多いと感じます。(個人の主観です笑)。
自己啓発した結果の行動が、これまた誰かの自己啓発のサポートだったりすると、「結局、何のために自己啓発してるんだろう?」と疑問になりますね…。
自己啓発が目的化すると、行動にはつながらない
自己啓発は、何か行動を起こすための手段、もしくは準備段階にやることだと僕は思っています。
なのに、自己啓発セミナーにしょっちゅう参加している大学生なんかを見ていると、みんなで「生き方」を考えることの気持ち良さに溺れてしまい、自己啓発自体が目的になっている人がチラホラ見られます。それでは、本末転倒ではないでしょうか。
中には、洗脳されかかっている大学生もいます。自己啓発セミナーなんて、「あー、はいはい。そんな考えもあるのね。参考にさせてもらって、あとは自分で考えます。」くらいの姿勢で臨むべきです。
互いの傷をなめ合っているようにも見えちゃう…
もちろん、すべての自己啓発を批判しているわけではありません。僕も、自己啓発書を読んだり、起業家の先輩に「どう働くべきか」「どう生きるべきか」などを相談することもあります。
ただ、「人生に迷っている人たち」が集まる自己啓発セミナーの中には、お互いの傷をなめ合っているように見えてしまうものもあるんですよね。僕がうがった見方をしているからかもしれませんが…(笑)
相手が言ったことに対して、論理的に矛盾したことであっても、「そうなんですか~」「分かります~」と頷いている姿を見ていると、「え!?このまま話し進めちゃうの!?」みたいに感じることがあります。
ちなみに、友人からの招待で「やりたいことが見つからない大学生向けの自己啓発セミナー」に参加したことがあるのですが、相手の話の辻褄の不一致を突きつつ、自分が携わってきたアフリカの活動について語りまくったら、雰囲気が硬くなったのを覚えています(笑)
自己啓発は自分を見直す一つの機会。あとは行動を起こせばいい。
もちろん、自分自身と向き合ったり、モチベーションを高めたりするためにも、自己啓発は大切なことです。
しかし、あくまでも「自己啓発」は一つの手段に過ぎないのだし、それだけでは「行動している」とは言えません。いくら話し合いを重ねたところで、いくら自分磨きをしたって、前には進まないのです。
だから、自己啓発なんて自分を見直す一つの機会くらいに捉えて、あとは目的に向かってドンドン行動を起こすべきです。
それなのに、語り合うことの気持ち良さに溺れ、自己啓発すること自体が目的化している大学生がとても多い。「挑戦とは・・・」と口ではいくらでも語れるけど、「じゃあ、あなたは何をやっているの?」と聞くと、大した行動を起こしていないケースが多いです。(あくまで個人の主観です笑)
結局は、その人が何を目的に、どんな価値を産み出したいと思っているかが大事ですが、「自己啓発の気持ち良さ」という罠に陥ってしまい、何も行動を起こせていない大学生たちが多いなぁ、と感じます。