原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

世界の不条理を知って"何か"を感じたあなたが、その"気づき"を無駄にしないために。

片手一つでも扱えるスマートフォンが普及して、「地球の裏側」で起きている出来事さえも瞬時に私たちの手元へ届くようになった今日。電車に乗りながら、ご飯を食べながら、友達と話しながら。ニュースやSNSなどを通じて、私たちはいつでも「地球の裏側」を知ることが出来る。

 

便利な世の中になった一方、21世紀に生きる私たちは、ひとり一人が「人間としての」大きな判断をするように迫られている。それは、「地球の裏側」で起きている"苦しみ"を、見て見ぬふりが出来るか、ということだ。

 

シリアでは空爆で一般市民が殺されている。南スーダンでは飢餓で国内避難民が苦しんでいる。バングラデシュでは多くの子どもたちが路上暮らしを強いられている。

 

先進国日本に暮らしている限り、想像も付かないような"不条理"が世界には蔓延っていることを、私たちは嫌でも知ってしまう。日本の「あたりまえ」は、世界ではあたりまえではなく、そして世界の「あたりまえ」は、日本ではあたりまえではない。

 

私は、アフリカやアジアの途上国でいわゆる"支援活動"に携わる傍ら、出来る限り現場のリアルが伝わるようにと、FacebookやTwitterを通じてたくさんの「発信活動」をしてきた。その中でも、東アフリカのウガンダ滞在時、南スーダン難民居住区で出会った一人の障がい児の写真は、多くの人たちに"何か"を感じさせたようだった。

 

 

40℃近い猛暑の中、彼は一人地べたに座っていた。足元には汚物が溜まり、全身にブンブンとハエがたかっている。その光景は私に"何か"を感じさせ、カメラを構えた時には、一瞬の迷いが生じてしまった。それでも、現地で起きていることを一人でも多くの人に伝えなければならないと、胸騒ぎを抑えながらシャッターを切った。

 

私が足を運んでいた南スーダン難民居住区だけでも、15,000人以上の子どもが暮らしており、その内9,000人の子どもが紛争で両親を失ったと現地スタッフから聞いていた。彼のように精神障害を負った子どもたちもまた、多くが紛争で孤児になっていた。

 

誰だって、一度は思ったことがあるだろう。今この瞬間にも、世界には紛争や貧困で苦しんでいる人がいるのはなぜなのだろうと。その人たちのために、自分にできることはなんだろうと。

 

日本で普通に生活している限り、例えばアフリカで起きている紛争や貧困といった問題と真剣に向き合う機会なんて、そうは無いだろう。仕事の忙しさや身の回りの生活を「言い訳」にして、遠くの国で困っている"誰か"は、心の中から少しずつ消えていってしまう。

 

それでも、写真のような光景を目の当たりにすれば、"何か"を感じるのが人間というものだ。その"何か"を感じる機会は、「地球の裏側」が身近になった今日だからこそ、誰にとっても増えているはず。一瞬だとしても、その時に心の中に芽生えた"何か"、いや"気づき"を、大切にしてほしい。

 

「じゃあ一体どうすればいいの?」とあなたは思うだろう。紛争や貧困を終わらせ、世界を変えるのはとても難しい。しかし、一瞬でも心の中に芽生えた"気づき"を無駄にせず、せめて世界を「無視」しないために、あなたにできることがある。

 

例えばアフリカの紛争は、歴史的背景や政治的駆け引きに加えて、石油や鉱物の権益を巡った争いなど、あらゆる原因が絡み合って起きている。

 

知らず知らずのうちに、日本に暮らす私たちの消費行動が、それら紛争や貧困を産み出しているかもしれないことを、あなたは知っているだろうか。今あなたがこの記事を読むのにも使っているスマートフォン。

 

それらハイテク機器には「レアメタル」と呼ばれる希少金属が使われているが、その「レアメタル」を巡った争いがコンゴ民主共和国(特に東部)では続いていることを、あなたは知っているだろうか。

 

一瞬でも心の中に芽生えた"気づき"を無駄にせず、せめて世界を「無視」しないために、あなたにできること。それは、関心を持ち続け、事実を正しく知ること。知ることは勇気に変わり、勇気は行動へと変わっていく。

 

「アフリカの人たちは紛争ばかり起こしている人たち」だと決めつけて終わってしまうのではなく、その原因や背景を正しく知る。世界を変えるには、まずは自分が変わらなくてはならない。

 

「関心を持ち、事実を正しく知る」だけならまだ簡単だろう。難しいのは、関心を持ち"続ける"ことだ。シリアの子どもたちが空爆で亡くなろうが、南スーダンの避難民が飢餓で苦しんでいようが、バングラデシュのストリートチルドレンが地べたで寝ていようが、今日も日本社会は忙しく回っている。

 

日本の「あたりまえ」が目の前にある中で、その「あたりまえ」を享受できない人たちが(日本を含めて)世界中には数え切れないほどいることに、関心を持ち"続け"られるかどうか。

 

いつかその関心は、自分のできることから実践しようという、「行動」へと繋がっていく。私はそう思う。