私が人生をかけて果たしたい使命、そして信念でもある、”世界の不条理”に挑戦する。
大学一年時にフィリピンで物乞いをする少女を目の当たりにし、そして国際協力の世界に足を踏み入れてから、私はこの言葉を、ずっと心に留めてきた。苦しいこと、辛いことがあれば、この言葉を思い出し、自分を奮い立たせてきた。
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ただ、この「”世界の不条理”に挑戦する」は、あくまでも私の”使命”であり、”ビジョン”、つまり私が実現したい社会ではない。むしろ、この使命だけを掲げ続けているならば、それは”世界の不条理”が存在し続ける必要があるように感じる。まるで、本来であれば私が好ましくないと考えているその状態、戦争や貧困といった不条理が世界に溢れている状態に甘んじているかのようだ。
年末に自己反省を繰り返したことで、”原点”に立ち返る大切さを感じ、そして自分の将来のを真剣に考える必要がある今だからこそ、私が実現したい社会、死ぬまでに実現したい社会を、今一度しっかり考えたい。
※中学生・高校生が「私が実現したい社会」という課題のエッセイを執筆する際、この記事を参考にする人が多いみたいです。ありがとうございます。
「実現したい社会」というテーマは非常に大きなテーマのため、考えるのが難しいはずです。この記事は、どんな展開でエッセイを書くかの参考になると思いますので、ぜひ読んでみてくださいね。
「使命」から「実現したい社会」へ
「世界の不条理に挑戦する」が私にとって人生の使命であるならば、それは「世界の不条理を無くす」という使命に置き換えて考えることができる。そして、その使命から私が実現したい社会を考えると、「不条理の無い世界の実現」に昇華することができる。
しかし、ここで二つの問題が生じる。
”不条理”をどのように定義するか?
一つ目は、”不条理”をどのように定義するか、だ。
不条理というのは、誰かにとっての「正義」が誰かにとっての「悪」であるように、立場や視点、そして考え方によっては、その不条理は、不条理ではないかもしれない。例えば、アメリカがイラクに侵攻したことは、アメリカにとっては「イラクから不条理を無くすため」だったかもしれないが、イラクの人々にとってみれば、その行為自体が不条理だったと言えよう。
また、今ある不条理が無くなったとしても、別の不条理が生まれるかもしれない。アメリカがイラクに侵攻したことによってフセイン政権という不条理はなくなったが、その後イラクはさらに混沌を極め、また新たな不条理が生まれてしまっている。
社会科学的に考えれば、現行の世界システムにおいて、「世界から不条理が無くなることは不可能だ」と言う人もいるだろう。だからこそ、実現したい社会を考えるためには、私なりの”不条理”を定義する必要がある。
実現したい社会だからこそ、ポジティブに考える
二つ目は、私が実現したい社会、つまりはビジョンが、ネガティブな視点から考えたものであるという点だ。つまり、「~が無い社会・世界」というのは、自ずと”~”の部分にネガティブなキーワードが入ってしまう。
実現したい社会であるのにもかかわらず、ネガティブ・ビジョンでは良くない。「不条理の無い世界」とは、一体どのように素晴らしい社会なのか。「不条理の無い世界」の先には、一体どんな社会が待っているのか。それこそが、本当の意味で私が考える「実現したい社会=ビジョン」であるのだから、ポジティブな視点から考えるものへと置き換えたい。
生活と権利が保障され、誰もが自分で未来を決められる社会(追記)
大学も5年目に突入した2017年5月1日、私は国際協力NGOコンフロントワールドを起業した。
そのコンフロントワールドが掲げたビジョン、つまり実現したい社会は、「不条理の無い世界=生活と権利が保障され、誰もが自分で未来を決められる社会」だ。
大学生の時からアフリカやアジアの貧困国に足を運び、戦争で家を追われた難民や、幼くして親を失ったストリートチルドレンと向き合ってきた私だからこそ、願うこと。それは、どんな人であっても、衣食住の生活や教育を受ける権利、政治に参加する権利が保障され、そして何にも縛られるのではなく、自分の意思を持ち、未来を決められる。そんな社会を、私は「不条理の無い世界」と定義した。
そう、それこそが、私が実現したい社会なんだと。
もちろん、5年後、10年後も、今と同じ気持ちかどうかは分からない。その時に実現したいと願う社会の姿は、変わってしまっているかもしれない。
でも、実現したい社会を考えることは、今の自分自身と真剣に向き合うことになる。それは、未来を見据えているようでまた、「今」を生きることにもなる。
時々、自分を見失いそうになった時にこそ、実現したい社会を考えるようにしよう。