「世界平和のために私たちができることは何ですか?」
こんな抽象的な質問をされたら、あなたはどんな答えをするだろうか。
戦争を終わらせるため、署名運動に参加する。
信頼できる団体を見つけ、毎月決まった金額を寄付する。
貧しい子どもや孤児を支援するため、ボランティアに参加する。
そんな具体的で、より踏み込んだアイデアが頭に思い浮かぶかもしれない。
しかし、1979年にノーベル平和賞を受賞したマザーテレサは「世界平和のために、私たちは何をするべきでしょうか?」という質問にこう答えたという。
「家に帰り、家族を大切にしてあげてください。」
僕は学生時代からアフリカの難民支援に携わってきたが、正直、当時の自分ならこんな言葉を知ったところで「ふーん」としか思えなかったかもしれない。
「身の周りのことなんかより、もっと突き進むように行動していかないと。」そんな感想さえ持っていただろう。
でも、僕は適応障害という病気を患い、闘病生活を経験したことで、マザーテレサが語った「世界平和」の意味を少しだけ理解できた気がする。
そして「大きなことを成し遂げたいなら、自分の足元を見失ってはならない」ということを、身をもって学んだ。
アフリカ支援をした学生時代。卒業後、僕は適応障害になった。
僕は大学在学中に起業し、アフリカ支援の活動に携わってきた。「原くんは国際協力業界の若手ホープだね。」周りからそんな期待を受けながら、自分でも調子に乗り、バリバリ働いていた。
自分の身体や、家族、友人といった目の前の人のことは二の次で、「世界平和」という壮大な夢のためには、とにかく前に突き進まなければならないと考えていた。
しかし、自分でも気づかぬ間に疲労やプレッシャーが蓄積されていたのだろう。今年5月末、僕は適応障害という心の病気を発症し、極度の抑うつ状態に陥った。仕事はおろか、日常生活もままならない状態になった。
先日、自身の闘病経験を綴った「適応障害になって気づいた。自立の意味が変われば、社会人の「鬱」は減るかもしれない」を寄稿したところ、大きな反響があった。同じようにうつ病や適応障害で苦しんだ人たちからも、「勇気づけられた」「もっと多くの人に届いてほしい」といった有難い感想もいただいた。
病気になって気がつかされた、自分という存在の小ささ。
「世界平和に近づくために、紛争や貧困で苦しむ人たちを一人でも多く助けたい。そのために行動し続けたい。」
そんな大きな想いを持って活動していた人間だからこそ、病気になり、自分という存在がいかにちっぽけなものであるかを痛感させられた。
適応障害は、発症すると自分で自分の心をコントロールすることが難しくなってしまう病気だ。最も苦しんだ時期は、家族のサポートがないと日常生活にも支障をきたしていた。
病気になる前なら何でもなかったようなことでさえも、何か一つ問題が起きた時、自分一人では対処し切れなくなってしまう。役所の手続き一つするのだって、意味もなく不安に襲われ、足を踏み出せなくなっていた。
病気になる前は仕事優先で、二の次になっていた家族や友人。その存在がなければ、自分はどうなっていたんだろう。そんな思いが頭をよぎった。
目の前の人に感謝し、大切にし続けること
病気になって学んだことがある。それは、「今自分の目の前にいる人に感謝し、大切にすること」だ。
こんな胡散臭い言葉を聞いたら、病気になる前の自分だったら、恥ずかしささえ覚えていたかもしれない。でも、精神的に沈み、苦しみ、何も出来なくなってしまった自分のことさえも受け入れ、心配し、支えてくれた人たちがいる。
そんな闘病生活があったからこそ、「目の前の人に感謝し、大切にする」という言葉の意味を身をもって知った。
大きなことを成し遂げたいなら、自分の足元を見失ってはならない
世界平和のためにできることを問われ、「家に帰り、家族を大切にしてあげてください。」と答えたマザーテレサ。
きっと、「世界平和」という大きな理想を掲げながらも、自分の足元を見失うことなく、目の前の人を大切にしていたからこそ、こんな言葉を残すことができたのだろう。
大きなことを成し遂げたいと思うのであれば、自分の足元を見失わないようにしよう。目の前の人を大切にしよう。どれだけ崇高な想いを掲げていても、自分の身体がダメになってしまっては、目の前にいる人との関係が崩れてしまっては、元も子もない。
病気になり、支えてくれる人の大切さを知った今だからこそ、マザーテレサの言葉を少しだけ理解できた気がする。
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