「大学生が国際問題を議論したところで意味ない」的なツイートをしたら、大反響がありました。
学生時代から「国際問題をみんなで話し合おう」的なイベントに何回も関わってきたけど、正直クソの役にも立たない。個々人の知識やディスカッション能力が高まるだけで、学生が議論したところで何の社会的変化にも繋がらない。きっと全国レベルで話し合ったとしても概ね自己満で終わってしまうんだよな
— 原 貫太 Kanta Hara@国際協力2.0 (@kantahara) 2018年5月20日
けど学生だからと言って、何もしないのは違いますよね!私は年に数百万円を支援する団体に所属してます。そこでは、目的意識がしっかりしている人ほど議論して、結果に繋げていると思います。
— ピーターパン大学生・むんた (@Ig9gncbEwIDQTfQ) 2018年5月20日
たしかに学生レベルでは微力な現状は悔しい。 https://t.co/PJTTfBUFRA
俺もそうだった
— Taisei Africa (@TaiseiYoung) 2018年5月20日
もうやりたくない https://t.co/98GJDf5R5V
目的が「話し合うこと」ならそれは確かに意味はない。でもそれが「自分たちは何をするか考え合うこと」「同じ問題に関心がある仲間をつくること」になるなら意味がないことはないと思う。要は当事者意識を持てるかと次の行動に移せるか。「話した」ことで満足してしまうのはもったいない。 https://t.co/Iu4kJXELKD
— mizuki (@mizukidayone) 2018年5月20日
これこれ。アレ本当に無駄。確かに討論する能力はつくけどね。 https://t.co/eqIwHLKkDz
— とも/お悩み相談受付中 (@TomoBataraK) 2018年5月21日
模擬国連という団体にかつて所属していましたが、まさしくその通りですね
— k.wade@カレー投資 (@curry_investor) 2018年5月21日
大事なのは話し合った上でどう行動に落としこんでいくかだと思います
特に模擬国連は、形式的なアウトプットが出るので、満足しがちですが、それだけでは何の意味も無いことをちゃんと理解しておくべきですね https://t.co/vCMZKRsQNl
話し合うこと自体がムダとは私は思わない。ただ、〈目的〉と〈手段〉の問題なのかも。
— 宮崎あゆみ (@miyabbb) 2018年5月21日
自己満で終わる人たちはきっと話し合うことが目的。話し合って、「じゃあ実際何ができるか?自分たちは何をするのか?」考えて動く、《考動》することができたらそこから結果に繋がるし、会の意味はあると思う。 https://t.co/QcGBFHWl9T
模擬はそもそも国際問題解決組織ではないので対象から外れるようなという前提の元、こういう団体ってみんなをアクションに導くというよりも啓蒙活動なので参加して議論してもらえれば御の字なのでは
— shun yoshida (@yoshu_official) 2018年5月21日
そりゃあベストはアクションしてくれる人が来てくれればいいけど https://t.co/zJ4d1ScBFc
原さんのおっしゃるように、もちろん「話し合うだけ」では何も起こりませんが、その後の一歩によって「身の回りが変わる、世界が変わる」ことはあると思います。イベント参加によってかけがえのない仲間と繋がるきっかけとなり、ひとつのプロジェクトや会社を作り上げることだってあるでしょうし。 https://t.co/Ux2jAzZlWx
— 大阪府立大学 国際チーム (@V_kokusai_OPU) 2018年5月21日
もちろん、使える技術や哲学は学生会議ではなくて、現場にあるが、イベントであろうと、現場であろうと、あまり人の役に立ってやってると思ってはいかんよ。 https://t.co/2mHPTELMoZ
— Sserunjoggi (@ugmpola) 2018年5月21日
「国際問題をみんなで話し合おう」
— 片野喬太 0.08 (@KyotaKatano) 2018年5月21日
の後の何かで、役に『立たせる』だけの経験と知識が必要かな。僕には。 https://t.co/C1FVlZ61SE
国際問題を”議論”するだけでは、問題の”改善”には繋がらない
時々、高校生から「国際問題に取り組める人間になるため、大学生になったら国際問題を議論する研究会に所属したい。」という相談を受けるのですが、ちゃんと伝えておきたいことがあります。
大学生が国際問題を”議論”したところで、参加している人たちの知識やディスカッション能力は高められたとしても、対象としている国際問題の”改善”には繋がらない。正直に言えば、議論ているだけの活動は、単なる自己満足にも陥りかねない。
まぁ、あたりまえのことですよね。
たしかに、議論した結果生まれた改善案を、そこで出来た仲間たちと次のアクションに移したら、多少なりとも世界は良くなるかもしれません。
けれど、「シリア内戦はどうすれば解決できるか?」「イスラエルとパレスチナの和平は実現する可能性があるのか?」「南スーダン難民が故郷に帰還するにはどうすればいいのか?」そんなあまりにも壮大なテーマを大学生が議論したところで、正直、クソの役にも立たないです。本当に。
大切なのは「考動」です
国際問題という大きなテーマであっても、もちろん、考えることは大切。
でも、もっと大切なのは、考えながら行動すること、つまり「考動」です。
凄惨な事実を目の前に、思考停止するのではなく、「考動」を続けることが大切。
— 延岡 由規@カンボジア (@yuki_nobuoka) 2017年3月29日
シリアにせよパレスチナにせよ南スーダンにせよ、ニュースや新聞で伝えられる凄惨な現実を前にし、「分からない」「何もできない」と思考停止するのは、僕も嫌です
「何が原因でシリアの紛争はいつまでも終わらないのか?」「どうすればイスラエルとパレスチナの間で平和構築が実現されるのか?」「難民が安心して生活するために必要な国際貢献は何なのか?」そんなことを考え続けながら、自分自身に知識を吸収し続けたい。
でも、議論しているだけでは、世界平和を実現することはおろか、何一つ国際問題を解決することはできません。僕自身も大学生時代、色々な人たちと国際問題を議論する機会がありましたが、その中で今の仕事に直接活かされているものは、正直ほとんどありません。
何を議論したかさえも、記憶が曖昧になってきています。
だから、考えながらも、自分にできる行動を淡々と続けていく。それこそが、学生時代から国際協力に関わり続けてきた、僕なりの一つの答えです。そんな「考動」を実践できる若い人たちが、もっともっと、増えてほしい。
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