原貫太のブログ

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【実録】ツイートで振り返る、ウガンダから緊急帰国するまでの紆余曲折

フリーランス国際協力師の原貫太@kantaharaです。

 

すでにSNSではご報告していますが、先月25日にウガンダから緊急帰国しました(日本に到着したのは26日)。

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エンテべ空港出発直前の待合室にて

 

当初の予定では5月上旬までウガンダにいるはずだったのですが、政府から発令されたコロナ対策によって通常の活動を実施することが難しくなったこと、また治安の悪化などが懸念されることから、生活拠点を置く日本に戻ってきた次第です。

 

詳しい帰国の理由についてはYouTubeに動画をアップしていますので、こちらをご覧ください。有難いことに高視聴率となっております。

サムネイルは悲しみの表情を表現した(つもり)

 

 

さて、ウガンダ滞在中から緊急帰国するまでの状況は、逐次リアルタイムでTwitterを更新していました。「奇跡的に帰国便が取れた」という報告ツイートには1,400以上もいいねが付きまして、ツイッタラーとしてはこの上ない喜びを覚えます

 

 

とはいえ、帰国を決めるまでの1週間は本当に、本当に状況が目まぐるしく変化しました。上のツイートをする2時間前までは、一人でウガンダに残留するつもり満々でしたからね…。

 

「あれ?原さん『こんな状況で帰っちゃダメ』とか投稿していなかったっけ?」という声もどこかから聞こえたり聞こえなかったりするので、良い機会だと思い、リアルタイムで呟いていたツイートを使いながら帰国までの紆余曲折をまとめます。

 

 

3月18日(帰国まであと7日)

①緊急帰国になる可能性を考慮し、サイラスと動画メッセージを発信

まずはこのツイートから。サイラスとの動画メッセージです。

 

 

この動画を撮影する少し前、JICAのボランティア「青年海外協力隊」で派遣されていた人たちが全世界から退避するというニュースが話題になりました。このあたりから少しずつ、帰国する可能性が頭をチラつきはじめます。

 

2月末にウガンダに来て、最初の一ヶ月はサイラスとのYouTube発信に力を入れていました。そのため、緊急帰国になる可能性を考慮し、一応のケジメとしてサイラスと何かしらの動画をアップしようと思い、急遽この動画を撮影した次第です。

 

②「72時間以内に空港閉鎖」になったら、帰国しようかな

この日は他にも、こんなツイートもアップしています。

 

 

書いてある通り、ウガンダ政府から「72時間以内に空港閉鎖」「すべての国際便の発着を無期限停止」といった対策が発表されることが最悪のケースと想定していたので、その場合は帰国するつもりでいました。

 

正直このツイートをした時点では、その可能性は低いと考えていましたが…。

 

③小学校の閉鎖が発表される

そして始まった大統領のスピーチ。リアルタイムで視聴していた僕は、こんなツイートをしています。

 

 

僕がウガンダ北東部で行ってきた布ナプキン作りの指導は、小学校をベースに活動していました。この時点で、計画していた活動は少なくとも32日間実施することができなくなります。 

 

 

3月19日(帰国まであと6日)

①人生の師匠に相談する

関係ない投稿に思えたかもしれませんが、3月19日に僕が「人生の師匠」と崇める認定NPO法人テラ・ルネッサンス理事長の小川真吾さんと会食していました

 

いいねは少ないけど、小川さんはマジですごい人だから本を読んでみてほしい…。 

 

周りの日本人は帰国する方向で動いていたため、小川さんに会う前の時点では僕自身、気持ちは帰国に傾いていました。

 

しかし、小川さんと直接会って話したことで、「やっぱり一人でもウガンダに残って頑張ろう」という気持ちに変化したのです。

 

②「このままウガンダに残ります」

 

帰国はせず、ウガンダに残って活動を続けることを決めました。

 

学校は閉鎖されることになったため、通常の活動を実施することはできません。そのため、生理が原因で学校をドロップアウトした(=退学した)女の子の家庭訪問を行い、一人ずつ支援を実施する計画を急遽組みました。

 

③「こんな状況で帰国しちゃダメだよ」

そして、このツイートです。

 

 

この流れでお分かりになると思いますが、先のツイートで登場した小川さんにかけられた言葉です。

 

この時点では、ウガンダではコロナの患者は一人も見つかっていませんでした。日本に帰国した方が感染のリスクは圧倒的に高いという状況です。

 

また、ウガンダへの入国に制限が課されることはわかっていたものの、ウガンダから出国することに関しては特に問題ないだろうと考えていました

 

コロナに関する風評被害でアジア人差別が増えることも予想されていましたが、それでもクーデターが起きるような治安状況ではありません。治安が劇的に悪化するわけでもないんだし、「今の状況で帰国する判断を下すのは、まだ早い」というメッセージとして僕は受け取りました。

 

ちなみに小川さんが代表を務められているテラ・ルネッサンスは、先日から新型コロナ対策の緊急支援を開始しています。もう、頭が上がりません…。マジでかっこいいです小川さん…

www.terra-r.jp

 

 

3月20日(帰国まであと5日)

①ウガンダ北東部に向かう準備を進める

フィールドに出向いて活動することを決めたため、着々と準備を進めます。この時点では、帰国するオプションは最後の選択肢として考えています。

 

 

ウガンダ北東部はマラリアの感染リスクが非常に高い地域です。周りに日本人が一人もいない中、万が一僻地でマラリアに感染しても対処できるよう、予防薬と治療薬を準備していました。

 

 

3月21日(帰国まであと4日)

①雲行きが怪しくなり始める

ただ、このあたりから雲行きが怪しくなり始めます…。

 

 

②長距離の移動を躊躇い始める

 

結果的には、このツイート時点で直観的に「北東部に一人で移動するのはヤバい気がする」と感じたのは正解でした。この後の約一週間で、バスや車など、乗り物での移動がすべて禁止されることになったからです。

 

もし北東部に行ってから「移動禁止令」が出されていたら、首都カンパラまで戻ってくることが不可能になっていました。そんな状況でマラリアを発症し、地方で重篤な症状に陥っていたら、マジで笑えませんね…下手したら死んでいたかもしれない…

 

 

3月22日(帰国まであと3日)

①突然の入出国禁止。頭が狂う

ついにこの日が来ました。ウガンダ政府が本気を出し始めます。

 

 

突然発表された、すべての国際便の停止。 「せめて72時間くらいの猶予は与えられるだろう」と甘く見ていた自分がバカでした。夜にしっぽりとお酒を飲んでいたら「明日の昼12時から閉鎖」と発表されるとは、想像もしていなかった...。

 

 

3月23日(帰国まであと2日)

①公共交通機関が止まり始める

 

この日から公共交通機関が停止します。自家用車を持っていない僕にとっては、北東部への移動手段がほぼ無くなった瞬間です。

 

3月23日の時点ではボダボダ(バイクタクシー)は使えたので、首都カンパラ市内を動き回る上では問題ありませんでした。しかし、この後25日にはバイクでの移動もすべて禁止になります。

 

②大使館からメール。臨時でカタール航空が飛ぶらしい

 

このメールが届き、周りにいた日本人はみんな帰国することを決めました。

 

③コロナの風評被害で日本人旅行者が暴行に遭う

 

NHKのニュースにもなったのでご存知の方も多いと思いますが、カンパラで日本人女性が「コロナ!」と言い掛かりをつけられ、暴行に遭いました。聞いた話では鼓膜が破れるほどのケガだったらしい…。

 

治安が悪化することは目に見えていましたし、交通手段が無くなっていくことによって活動計画も立てられない状況です。臨時でカタール航空が飛ぶことを聞き、この時点では帰国する方向で考え始めました。

 

④喜んだのも束の間。カタール航空には搭乗できない…?!

 

僕のYouTubeを観ている人は知っていると思いますが、この前後でパスポートが手元から無くなっています

 

日本に帰るか、ウガンダに残るか?臨時のカタール航空は予約できるか、予約できないか?そもそもパスポートは返ってくるのか、返ってこないのか?

 

ただでさえ緊急事態、異国の慣れない環境での生活だけでもストレスを感じるというのに、色んなトラブルが重なって心身ともにかなりやられていました…。

 

なお、この記事でパスポートが無くなったことに関する一部始終まで書くとトンデモナイ長さになるので、気になる方は以下の動画をご覧ください。

 

⑤取り残された日本人たちで退避方法を話し合うも…

 

ウガンダに取り残された日本人の皆さんと帰国する手段を話し合います。

 

インドネシアでトランジットして帰る方法。バンコクを経由して帰る方法。治安の観点から一度ヨーロッパまで出る方法…。

 

それぞれの国が日本人の入国を拒否しているかどうかも調べる必要があったので、大変な作業でした。4時間くらい話し合っていましたが、結局いい方法は見つかりませんでしたね…。他の仕事は全く手につかなくなりました…。

 

 

3月24日(帰国まであと1日)

①匿名のアンチコメントが届く

 

最近は誹謗中傷にもすっかり慣れ、ほとんど動じなくなっていたのですが、やはり人間追い込まれている時はメンタルも削られていますね…。ちょっとだけ凹みました。アンチの方、さすがです。 

 

②カタール航空に空席が出た!でも…

 

一緒に暮らしていた日本人の皆さんは何とか飛行機に乗れることになりましたが、僕は「予約するなら最後」と考えていたので、一人取り残される状況に。

 

 

 

3月25日(帰国当日)

①朝、日本人の皆さんを見送る

 

飛行機が取れた日本人の皆さんを朝、見送ります。正直かなり心細かったです。

 

「まぁ、当日だとさすがに予約は難しいだろう」と半ば諦めかけながら、重い足取りでカタール航空のオフィスに向かいます。

 

②奇跡。最後の1席が取れた…!

 

そして、このツイートです。先に予約していた方から話を聞いたところ、どうやら僕の分が最後のチケットだったらしい…。

 

大急ぎでドライバーを呼び、超特急で空港に移動。何とかチェックインにも間に合い、そのまま飛行機に乗って翌日26日、日本に戻ってくることができました。

 

 

あの1週間を振り返って…

こうやってツイートを元に振り返ってみると、 たった1週間で状況、そして僕自身の気持ちも大きく変わったことがわかります…

 

ウガンダ→日本の臨時便は片道約40万円もしたので、もちろん多少は躊躇したものの、考えを巡らす時間はありませんでした。空港に着いてからも、帰国の判断は正しいのかどうか悩んでいましたね…。

 

フォロワーの皆さんから後押ししてくれるようなメッセージをたくさん貰って、本当に嬉しかったです…ありがとうございました(泣)

 

コロナが蔓延しようが、治安が悪くなろうが、組織に所属せずに助成金も貰っていない立場で活動する僕は、帰国するかしないかは全て自己判断できます。

 

一方で、自分から情報を掴みにいかない限りは、誤った判断をしかねません。

 

今回は周りの日本人たちと一緒に情報収集に努め、コミュニケーションを密に取りながら、何とか帰国することができました。YouTubeでも話しましたが、結果的にこの判断は間違っていなかったと思います。

 

ただ、現地の人たちの生活状況が苦しくなっていくのを知りながら、外国人の自分だけが母国に戻ることに、当然後ろ髪を引かれる想いもありました。

 

 

もし僕が組織に所属していたら、「規則だから」「上の判断だから」と、少なくとも表面的にはこの緊急帰国を正当化できたでしょう。

 

個人で国際協力に携わっているからこそ、すべてを自分の意志で判断しなくてはならない。すべての責任を一人で担わなければならない。だから、途方もなく葛藤します。

 

これからの働き方や国際協力との向き合い方を深く考えさせられる出来事でした。まだすべてを消化できたわけではありません。日本にいる期間に記事や動画でのアウトプットを通じて、少しずつ整理を付けていきたいと思います。

 

Youtubeもぜひご覧ください!

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