「なぜアフリカの紛争はなくならないのだろう?」
「なぜアフリカでは違う民族同士で争うのだろう?」
こんな疑問にお答えします。
フリーランス国際協力師の原貫太です。NGO職員として、アフリカの紛争で傷ついた難民の支援活動に携わっていました。
アフリカは54の国から成る大陸ですが、現在も紛争に苦しんでいる国も少なくありません。例えば南スーダンやコンゴ民主共和国の東部、中央アフリカ共和国などでは現在も紛争が続いています。
なぜアフリカでは紛争がなくならないのか?その原因は、決してアフリカの中だけにあるのではありません。
アフリカ支援の仕事に携わる僕が、アフリカで紛争が無くならない原因を詳しく解説します。
YouTubeでも解説しました。動画のほうがわかりやすいはずです。
アフリカの紛争がなくならない原因は?
アフリカの紛争がなくならないのは、西欧諸国が行った奴隷貿易や植民地支配によって、アフリカに暮らす多様な民族の間に「分断」が産み出されたことが根本的な原因です。
この分断という名の「火種」に火が付くことでアフリカでは紛争が勃発しますが、その原因となっているのが先進国の武器ビジネスの存在や、アフリカに眠る豊富な資源を巡った権益争いです。
アフリカで紛争がなくならない原因を、まずは歴史的な観点から見ていきましょう。
奴隷貿易は「アフリカ人同士の争い」の始まりだった
アフリカで紛争が続く根本的な原因、その歴史的な要因を探る上で最初に目を向けなければいけないのが、400年近くにわたって続いたヨーロッパによる奴隷貿易です。
なぜ今から数百年前に行われていた奴隷貿易が、アフリカで起きる紛争の根本的な原因となっているのか?
それは、アフリカで奴隷貿易が始まったことは、同時にアフリカ人同士を戦わせる歴史の始まりでもあったからです。
15世紀末にポルトガルがアフリカ大陸に到達してから、アフリカでは約400年の間、奴隷貿易が続きました。
推定1500万人以上のアフリカ人が強制的に拉致されたと考えられています。アフリカ人はまるで野生動物のように扱われ、ヨーロッパ人がアメリカ大陸や西インド諸島で作ったプランテーションで、強制労働をさせられました。
生まれ故郷から遠く離れたアメリカ大陸や西インド諸島に輸送されたアフリカの奴隷たちは、飼い主の所有物となり、まるで家畜のように納屋で飼われたり、ムチで打たれながら強制労働をさせられていたのです。
この奴隷貿易によってアフリカの発展が妨げられたのはもちろんですが、奴隷貿易が始まったことによって、アフリカ人同士の対立、ひいては現在でも続く紛争の火種が巻き散らかされました。
もちろんアフリカの人々にも、非人道的な奴隷貿易に対して反旗を翻した人々もいます。
しかし、銃を持ったヨーロッパ人に力でかなうことはなく、多くのアフリカ人が虐殺されていきました。
その一方でヨーロッパ人たちは、自分たちにとって都合の良い従順な民族には武器を渡し、他の民族を襲わせ、奴隷狩りをさせたのです。
たくさんの奴隷を集めた従順なアフリカの民族には、さらに多くの銃を渡したり、装飾品などの報償を渡したりすることで、アフリカの民族同士の間に「分断」を生み出したのです。
この後に説明する植民地支配も含めて、この「分断」というキーワードが現在もアフリカで続く紛争を語る上では、避けては通れない概念です。
ヨーロッパ人は自分たちの手を汚すことなく、アフリカ人にアフリカ人を集めさせることで400年以上にわたり奴隷貿易を続けました。
ヨーロッパ人たちがアフリカにやってくるまでは、各民族の間には狩猟採集や農耕、牧畜など生活の違いはあれど、何か争いが起きれば自分たちのルールに則り、平和な暮らしを送っていたと言われています。
しかし、ヨーロッパ人による奴隷貿易が始まったことによって、「アフリカ人によるアフリカ人の支配」「アフリカ人同士の争い」という構図が生まれました。
この構図は、現代もアフリカで紛争が続く根本的な原因、つまりは紛争が起こる火種となったのです。
この奴隷貿易は19世紀前半にヨーロッパが廃止してから既に200年近くが経つため、今では過去の歴史としてしか認識されていないかもしれません。
ですが、この後に説明する植民地支配、また現代まで続くアフリカの紛争を考える上では、この奴隷貿易が非常に重要な歴史的出来事であったことは言うまでもありません。
植民地支配が生み出した民族対立
19世紀前半に奴隷貿易が廃止された後も、西欧諸国によるアフリカの搾取は終わりませんでした。
アフリカで紛争がなくならない二つ目の原因は、ヨーロッパが植民地時代に導入した分断統治です。
19世紀後半からは、これまでは奴隷を得るためだけに沿岸部に止まっていたヨーロッパ人の侵入が、今度は新たな資源を求め、アフリカの内陸部まで進出してきました。
19世紀中頃から進められたアフリカ探検によって、アフリカ大陸に眠る豊富な資源に注目が集まると、資本主義が始まっていたヨーロッパ諸国は新たな資源の供給先としてアフリカに目を向けます。
いわゆる「植民地支配」の始まりです。
1884年には、かの有名なベルリン会議がドイツで開かれ、ベルリンに集まったヨーロッパ諸国によってアフリカ大陸は分割され、植民地支配が始まります。
アフリカには様々な民族の人々が暮らしていますが、ヨーロッパ諸国がアフリカを分割する際は民族の分布は無視され、紙の上だけで行われました。
現在でもアフリカの国境線が真っ直ぐに引かれているのは、ヨーロッパ人が紙の上でペンと定規を使い、勝手に国境線を引いたことが原因です。
このように、ヨーロッパ諸国がアフリカの民族の分布を無視して、勝手に国境線を引いたことも、その後のアフリカで土地などを巡る紛争が起きる根本的な原因になっています。
また、植民地経営の多くは単一作物を生産するモノカルチャー経済だったため、その影響でアフリカの多くの国では現在でも経済状況が脆弱になっており、これも紛争が勃発しやすい一つの原因です。
そして1900年頃までには、エチオピアとリベリアの二か国を除き、アフリカ大陸全土がヨーロッパ諸国によって分割されてしまいました。
この植民地時代にヨーロッパがアフリカに持ち込んだのが「分断統治」です。この分断統治こそが、植民地から独立した後のアフリカで「民族紛争」が勃発する大きな原因になりました。
例えば東アフリカのウガンダを支配していたイギリスは、ウガンダの南部に暮らす民族を優遇する一方で、北部に暮らす民族「アチョリ族」を虐げてきました。
南部に暮らす民族は優遇する一方で、北部に暮らす民族は冷遇する。この分断統治によって虐げられていたウガンダ北部の人々の不満は、宗主国だったイギリスだけではなく、優遇されていたウガンダ南部の人々にも向けられるようになります。
不満の矛先がイギリスだけではなく南部の人々にも向けられるように仕向けることで、イギリスはウガンダの人々が一致団結して反乱を起こさないようにしたんですね。
ウガンダの隣国であるルワンダでも同じように、宗主国であるベルギーは国民の約15%を占める少数派のツチ族を優遇した一方で、国民の85%を占める多数派のフツ族を虐げました。
これによって、国民の大多数を占めるフツ族の不満は、宗主国であったベルギーだけではなく、優遇されていたツチ人にも向けられたのです。
植民地時代に導入された分断統治は、アフリカの国々が独立した後に民族紛争が起きる根本的な原因になりました。
イギリスから独立した後のウガンダでは、植民地時代に虐げられていた北部から反政府組織「神の抵抗軍」が誕生し、植民地時代に優遇されていた南部を中心とする政府軍との間で内戦が勃発します。
ウガンダの内戦では3万人以上の子供が反政府組織にリクルーティングされ、子ども兵士として戦わされてきました。
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また、ベルギーから独立した後のルワンダでは、植民地時代に虐げられていた多数派のフツ族と優遇されていたツチ族の間で内戦が勃発し、1994年には100日間で80万人が亡くなる民族大虐殺、いわゆるジェノサイドが起きています。
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アフリカには様々な民族が生活していますが、違う民族同士を対立させることによって植民地支配を円滑に進めるという分断統治をヨーロッパが持ち込んだことによって、それまでアフリカ人が維持してきた平和な社会は、根本から破壊されてしまいました。
武器ビジネスがアフリカの紛争を引き起こす
アフリカの紛争を最も直接的に引き起こし、長期化させる原因になっているのが、先進国の武器ビジネスの存在です。
アフリカで紛争が起きれば、先進国の武器産業には莫大な利益がもたらされる。これもアフリカで紛争が絶えない大きな原因です。
アフリカの紛争で多く使用されている自動小銃や機関銃といった小型武器は、少なくとも8億7500万丁が確認されています。
アフリカの紛争で使われる小型武器の生産に関わっている企業は世界92カ国1249社以上と言われており、そのほとんどが先進国の武器企業です。
通常兵器の約9割はアメリカ・イギリス・フランス・中国・ロシアの5大国によって生産され、その3分の2はアフリカをはじめとした途上国に流れ込んでいると言われています。
世界の武器の9割以上を生産しているこの5か国は、国連の安全保障理事会で拒否権を持つ国々です。
本来は戦争を止めるべき存在である国連の中で、最も大きな影響力を持つ5カ国が、戦争の原因になっている武器を最もたくさん生産しているという矛盾があるのです。
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例えば冷戦後の10年間では小型武器を減らすために世界で400万丁以上の武器が破壊されましたが、その一方で毎年800万丁以上の武器が生産されていると言われています。
さらに言うと、アメリカ・イギリス・フランスの3カ国が武器貿易によって得ている収益は、この3か国が発展途上国に対して行っている政府開発援助の金額よりも多いとすら批判されているのです。(2004年)
なぜ武器の生産が減らないのか?その理由を簡単に言えば、武器の生産や貿易によって儲ける企業が世界中に存在し、それを仕事にする人たちがたくさんいるからです。
例えば世界最大の武器輸出国であるアメリカでは、銃器を販売する店はマクドナルドの10倍もあり、たくさんの人たちが武器関連の産業で働いています。
そのため武器産業の利益を守り続けるためには、武器を大量に生産する必要があり、生産された武器は戦争が行われているアフリカに輸出されるという構造があるのです。
戦争が行われているおかげでアメリカの武器産業は莫大な利益を上げることができるし、さらに踏み込んだことを言えば、アメリカの武器産業が利益を上げるためには、世界のどこかで常に紛争が起きている必要があるということです。
アフリカで内戦が勃発し、武器の需要が増えれば増えるほど、先進国の武器産業は儲かる。
このような構図があるため、アフリカでは紛争がなくなりません。
アフリカ大陸に眠る資源を巡った争い
アフリカには石油や鉱物などの資源が豊富に眠っていますが、この豊かな資源もアフリカで紛争が続く大きな原因です。
現在も内戦が続く南スーダンを例に考えてみましょう。
南スーダンは2011年に独立を果たした世界で最も若い国ですが、独立する前の「スーダン南部」の時代から、石油の権益を巡った内戦が続いています。
この石油を巡った内戦の背景には、何としてもそれを手に入れたい先進国の「思惑」があります。
実際、アメリカは莫大な石油が眠っているとされるスーダン南部に目を付け、1970年代から介入していました。
しかし、冷戦時代の影響を受けて北部にあるスーダン政府が反米政権になると、アメリカはスーダン南部の反政府勢力に武器や資金を流し込むようになりました。
これによって、スーダン北部とスーダン南部の内戦は激化したのです。
最終的には、北部スーダンと南部スーダンの国境線や石油の利益配分なども未確定のまま、アメリカは南スーダンの独立を後押しします。
言葉は悪いかもしれませんが、アメリカは石油権益を手に入れるため、南部スーダンを引きちぎったのです。
また、南スーダンの隣国コンゴ民主共和国東部で起きている内戦も、この国に眠る豊富な資源が関係しています。
コンゴ民主共和国で続く内戦の大きな原因になっているのが、現代の生活には欠かせない存在となったスマートフォンなどの電子機器です。
これらの電子機器には、大量の希少金属、つまりレアメタルが使用されています。例えば電子回路のコンデンサに使われるタンタルという鉱石は、推定埋蔵量の6割以上がコンゴに眠っていると考えられています。
実はこのレアメタルは、コンゴ東部の武装勢力の資金源となっており、内戦の規模を広げ、長引かせている大きな原因になっているのです。
スマホやタブレットが売れ、先進国でレアメタルの需要が高まれば高まるほど、武装勢力に多くの資金が流入し、その結果として内戦による犠牲者が増えるという構造が出来ています。
このようにアフリカで紛争がなくならない原因には、アフリカで豊富に眠っている資源も大きく関係しているのです。
アフリカで起きた紛争のリアル
アフリカで紛争が続く原因を解説しましたが、これだけでは話の規模が大きく、アフリカの紛争をリアルに考えることは難しいと思います。
よりリアリティを持ってアフリカの紛争を理解してもらうため、僕がウガンダ共和国で出会った元少女兵士、アイーシャさんの体験談を紹介させてください。
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1980年代後半から、20年以上内戦が続いたウガンダ共和国。僕は子ども兵問題のリアルに迫るため、大学4年生のときにこの国を訪れました。
ウガンダでは内戦中、反政府組織「神の抵抗軍」によって、3万人以上の子どもが誘拐され、兵士として戦わされてきた過去があります。
一説では、神の抵抗軍は兵力の約8割を子ども兵士に頼っていたとも言われます。
子ども兵士は水汲み、食事の準備、荷物運びといった雑用から、政府軍との戦闘や村の襲撃、新たな子どもの誘拐まで、多くの仕事につかされました。
「少年兵」という言葉に聞き覚えがある人は多いでしょう。しかし、子ども兵士の中には女子、つまり「少女兵」も存在します。
アフリカでは、多くの内戦で少女兵の存在が確認されています。ウガンダの内戦でも、多くの女子が兵士として強制的に徴兵されました。
少女兵は荷物運びや炊事といった雑用に使われるのはもちろん、中には大人兵士と強制結婚させられ、エイズに感染してしまう者もいます。
僕が出会ったアイ―シャさんも、元少女兵の一人です。彼女はわずか12歳で誘拐され、26歳で脱退するまでの実に14年間、望まない兵士として過ごすことを余儀なくされました。
以下は僕の書いた本『世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援』でも紹介した、彼女の従軍中の体験談です。その内容を、本の中から引用します。
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2000年12月19日の真夜中、アイーシャは反政府軍である神の抵抗軍(LRA)に誘拐された。当時、わずか12歳だった。そこには、数え切れないほど多くの困難が彼女を待ち受けていた。
「一日中重い荷物を持たされ、森の中を走りました。休息は夜に少し取るだけ。非常に辛く、苦しいものでした」
「水も食料もない状態で、本当に辛かったです。軍隊にいる間、常に戦闘が続いていました。昔はいつ死んでもおかしくないという思いで生きていました」
神の抵抗軍での厳しい生活に慣れることは、非常に難しかったと彼女は話す。人が殺されるところを、数え切れないほど目の当たりにした。襲撃や、軍隊という過酷な環境に彼女を慣れさせるため、神の抵抗軍はアイーシャにその現場を見せたがっていたのだ。
2000年から2003年までの3年間、北部ウガンダの茂みを歩き回った。その後、ウガンダ政府軍による神の抵抗軍の掃討が勢いを増すと、ウガンダに滞在することは厳しくなる。2004年、彼女らは合計4回にわたって拠点をスーダン内へと移した。
「とても長い距離を歩かされて、4日間ずっと移動し続けたこともありました」。スーダンに拠点を置いている間も、越境してきたウガンダ政府軍によって何度か掃討があったため、拠点を更にコンゴ民主共和国へと移した。
彼女は、日夜「神の抵抗軍」と行動を共にしなければならなかった。それは、若い彼女にとって非常に辛く、苦しみを伴うものだった。
コンゴ民主共和国滞在時、彼女は脱走を試みる。脱走のリスクは当然大きかった。脱走に失敗して再度捕まれば、それに対する上官からの罰は非常に厳しく、非人道さを極めていた。
他の子ども兵が脱走することを防ぐために、脱走しようとして捕まった者は、見せしめとしてひどい罰を受けるのだ。時にそれは、命を失う事にも繋がった。
「ある夜に他の仲間と脱走を試みましたが、捕まり、鞭で200回叩かれました。それからは脱走する事は諦めました」
コンゴの密林を、反乱軍と共に動き回る。そんな生活が長く続いたある日、彼女に子どもが産まれる。
少女兵の多くは、従軍中に反政府軍の兵士と強制結婚をさせられ、子どもを授かることもある。中には、兵士との性交渉中にHIVに感染し、帰還後もエイズを発症する、また穢れた存在だと差別や偏見を受け、コミュニティから疎外されるなど、社会復帰がより困難な状態に置かれる。
「幼い子どもを連れながら、政府軍から逃れるために茂みの中を走るのはとても大変でした」。子どもを抱き、銃を担ぎ、身の回りの物を背負い、茂みの中を走る。その辛さを言葉にすることはできないと、彼女は語る。
コンゴから中央アフリカ共和国に移動し、またコンゴに戻り…、そんな生活が長く続いた。2014年、彼女は政府軍に救出されたが、2000年からの実に14年間、彼女は少女兵としての生活を強いられた。
救出後の生活は、茂みでの生活とは全く違うと彼女は語る。「人々はお互いの権利を尊重し合っています」
拘束されていた頃は何も言う事ができず、ただ上官からの命令に従うしかなかった。荷物を運べと言われれば荷物を運び、村を襲えと言われれば村を襲った。命令に背けば、時には殺されるまで罰が下された。
「拘束から逃れて戻ってきた時、私には3人の子どもがいました。持ち物は何もありませんでした。それでも、幸せでした。拘束から逃れられた、ただそれだけで幸せに感じました」
援助機関で社会復帰訓練を受けている心境を、彼女はこう語る。
「訓練所では、多くの技術を身につけることができています。以前はずっと人に頼り、物を借りていましたが、今の自分は能力を身につけ、自分で物事を行うことができるようになってきました」
「ここで技術訓練や基礎教育を受けられる、その事が、今の自分を幸せにしてくれます。ここでの学びを活かし、卒業後はもう一度、自分の人生を変えたい。そして、子どもたちの未来を支えたい。そう願っています」
さいごに
この記事で一番伝えたいことは、アフリカの紛争がなくならない原因は、決してアフリカの「中」だけにあるわけではないということです。
歴史的な背景はもちろん、アフリカと先進国の間にある政治経済的な仕組みに目を向けない限り、アフリカで続く紛争の本質を語ることはできません。
そしてまた、数値で一括りにされがちな内戦の被害者の中には、アイ―シャさんのように、ひとり一人の「人生」が確実に存在しています。
僕たちが暮らす日本も、アフリカで起きている内戦と無関係だとは決して言い切れません。そのことを多くの方に知っていただけたら幸いです。
追伸:世界を無視しない大人になるために。
記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。改めまして、フリーランス国際協力師として活動する原貫太と申します。
記事の中では「アフリカの紛争の原因は…」と偉そうに語っていますが、かく言う僕自身、これまでのアフリカ支援では何度も壁にぶつかってきました。
14年間も戦場に駆り出された元子ども兵の女性。目の前で両親を殺されたと涙ながら話す難民の女の子。精神障害を抱え、一人寂しそうに地面を見つめる男の子。
普段は日本の大学生として生活し、恵まれた環境で暮らしていたからこそ、彼らと直接対面する中で「どうして世界はこんなにも不条理なのか」と、何度も涙を流しました。
本の中でも紹介した精神障害を抱える南スーダン難民の男の子。足元には汚物が溜まり、全身にハエがたかっていた。この光景は今でも忘れることができない。
でも、自分なりにそこで感じる葛藤と向き合いながら、これまでアフリカでの活動を続けてきました。その軌跡をまとめた本が、僕の処女作『世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援』です。
この本は執筆から装丁、印刷までをすべて自分でやった自費出版本です。もしかしたら「素人が書いた本なんかに700円も払えない」と思われてしまうかもしれません。
でも、これまで3,000人以上の国際協力を志す方たちが、この本を手に取ってくれました。ほんの一部ではありますが、いくつか読者の感想も紹介させていただきます。
@kantahara
— 佑斗 (@GtjMy5af) June 26, 2020
『世界を無視しない大人になるために』
国際支援において本当に求められている事は何なのか、真剣に考えさせられました。また、現地に行かないとわからないこともたくさん知ることができ、自分も一度現地に赴いてみたいという気持ちが高まりました。
心に刺さる一冊でした! pic.twitter.com/HRZVQswH6k
昨日原さんから直接買わせていただいた、「世界を無視しない大人になるために」、気づいたらノンストップで読み終わってた。
— みんご (@10114minami) 2018年3月12日
是非みんなにも読んでほしい。
【「知る」ことは「勇気」に変わり、そして「勇気」は「行動」に変わる。】
これを読んで、自分の決意が固まった気がします。 https://t.co/EsMBi2qbL6
世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援 https://t.co/WwG7AJYe76 @amazonJPから
— アベ ハヤヒト (@FootballGk1125) 2017年9月1日
すぐ読み終わるし安いから、是非読んでほしい。
ここまで感情を揺さぶられた本はなかなかない。
1回、読んでみて。誰か。
アフリカの紛争に関心のある人なら、この本はドンピシャの内容です。アフリカで起きる紛争の原因も、詳しく解説しました。
僕がアフリカで出会った元子ども兵や難民、ひとり一人のストーリーを中心に描いた一冊。第一章までを以下のページで全文公開しています。
➡世界を無視しない大人になるために【少女兵との出会い - 第一章まで無料公開】 - 原貫太のブログ
世界を無視しない大人になるために。ぜひ、この機会にあわせてご覧ください。
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