普段はテレビを全然観ないのだけど、ウガンダから日本に帰国し、たまたまテレビを点けたら感じたことがある。
なんで日本のテレビって、こんなにもくだらない番組が多いのだろう?
ワイドショーにせよグルメにせよバラエティにせよ、本当にどうでも良い内容のテレビ番組が異常に多い。何なら「報道番組」(自称)であっても、どこどこの政治家が不倫しただとか、だれだれの芸能人が離婚しただとか、本当にどうでもいい。暇かよ。平和かよ。
安宿でもずっと流れていた海外ニュース
アフリカのウガンダに滞在していた時、一泊1000円の安宿でもBBCやアルジャジーラが放送されていた。たしかにウガンダが英語圏だから内容を理解できる人が多いのかもしれないけど、いずれにせよ日本人の国際ニュースに対する理解度、いや関心度は絶望的に低い。
それに、日本に入ってくる国際ニュースは、その多くがアメリカ経由で入ってくるため、多少なりともバイアスはかかってしまっている。だから、ただでさえ視野が狭いというのに、その視野に入ってくる内容も、物事の一面しか映し出していないことがある。
僕らの関心が無いと視聴率には繋がらない
多分、重苦しく、堅いニュースは視聴率に繋がらないから、テレビ局は興味が無いんだろう。だけど、もっと言ってしまえばその根本的な要因は、僕たち日本人ひとり一人が普段から何に対してアンテナを張っているかにある。
そのアンテナのほとんどが表面上の「面白さ」に向いているから、テレビ局はそのアンテナを拾うようにして、番組を作っている。数字に繋がるから。
僕はもう、欲しい情報はすべてネットで手に入れるようにしている。自分で情報を掴みにいける人には、テレビよりもネットの方がずっといい。最近は芸能人がテレビで嘘をついたら、ネットですぐにわかってしまう時代。「信用を貯めるために嘘はつかない」と決めているキングコング西野さんが、グルメ番組に出ない理由が面白かった。
好感度を獲得しにいくためには、たとえばマズイ料理を食べても「美味しい」と言わなければならない。噓をつかなければならない。
10年前なら、視聴者は、その料理の味を確認することができなかったので、タレントは噓をつき通すことができたが、今はツイッターのタイムラインや「ぐるなび」で、テレビ画面に映っている料理の味が筒抜けになっている。
噓が、噓としてカウントされる時代になってしまった。(『革命のファンファーレ』より引用)
それに、受動的なテレビとは違って、ネットでは能動的に情報に触れることができる。インプットだけではなく、SNSやブログを活用すればそれらをアウトプットして、自分の「モノ」にすることもできる。
インターネットの発展を中心に、グローバル化によってこれだけ世界中の出来事が繋がり合っている今日。別に海外に行けとか英語でニュースを読めとかは言わないけど、日本人は「世界」に向いたアンテナが"あまりにも"低い。
その恥ずかしさが分かったほうが良いです。ほんまに。