原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

「紛争が終わっても母国には戻れない」南スーダン難民の声 日本による人道支援は?

2013年12月からの紛争の影響によって、大量の難民が生まれている南スーダン。昨年7月に紛争が再燃してからは家を追われる人が後を絶たず、難民の数は150万人を超え、シリアやアフガニスタンに次いで世界第3位の「難民危機」となっている。現在私が滞在しているウガンダ北部にも毎日のように難民が流入しており、多い時には毎日2千人~3千人にのぼるとも言われている。

 

各種支援機関による緊急援助は追いついておらず、また政府軍による虐殺などを目撃した難民の心理的ケアの必要性も叫ばれている。現在ウガンダが抱える難民の86%は女性と子どもだ。

 

ウガンダは南スーダン難民を最も多く受け入れている国であり、その数はおよそ70万人。ウガンダは、2016年の一年間で約49万人の南スーダン難民を受け入れたが、この数は同年に地中海を渡ってヨーロッパに到達した難民・移民の数(約36万人)よりも多い。

 

現在私は、南スーダンとの国境に近いウガンダ最北部の難民居住区で調査を行っているが、そこで目にする現状、特に「PSNs(Persons with Special Needs/特別な補助を必要とする人々)」と呼ばれる難民たちの現状は、言葉では表せないほど深刻なものばかりだ。日本の人たちに現地の様子が届いてほしいと心から思い、ウガンダ北部から南スーダン難民の「最前線」を伝える。

 

現地で聞いた話によれば、連日私が足を運んでいる難民居住区だけでも、紛争で両親を失った孤児が約9千人いる。日照りも強く、とても乾燥していて、時々巻き起こる砂ぼこりは、ここが生後6か月(写真)の難民が暮らすにはあまりにも厳しい環境であることを痛感する。

 

難民居住区には、「PSNs」と呼ばれる難民が暮らしており、紛争で夫を亡くした女性や、両親を亡くして子どもが一家の大黒柱になった家族などがこれにあたる。紛争で夫を失った女性が私のインタビューに応じてくれた。

 

クリスティーンさん(仮名)(40)。2013年12月に紛争が勃発した後、夫を亡くした。「近隣住民が助けを求めていたので彼は救助に向かったが、そこで殺された」。その後は夫の兄が生活の面倒を見てくれたが、その彼も昨年7月に紛争が再燃した後に亡くなった。病死だった。

 

今年から子どもが進学予定だが、学費が払えないかもしれないと不安をこぼす彼女。「夫が死んでからは稼ぎ手がいません。可能なら学費のサポートを得たい」。薪木拾いの仕事でわずかな日銭を稼ぐが「(薪木が)全く売れない時もある。母国ではこんな仕事はしたことがないので辛い。農業をしたい」

 

「紛争が終結したら南スーダンに戻りたいか」という私の質問に、「南スーダンの家は完全に破壊され、所有物も全て無くなってしまったので、(紛争が終結した後でも)帰るのは難しい。家を再建してくれる知り合いもいない」。紛争により、南スーダンでは300万人以上が家を追われている。

 

居住区に入って驚くのが、どこを見ても至る所子どもだらけなのだ。推定人口3万人のうち、6割に当たる約1万8千人が子ども。成人男性が少ない理由を聞くと、「南スーダンに残って子どもや女性を先に避難させてたり、一部は殺害されてたりするから」。家の財産を守るため、最後まで残って戦うこともあるという。父親が殺害された家族や、両親が殺害された子どもは、難民としての生活も困難を極める。

 

PSNsには障害を抱えた人も含まれる。精神障害を抱えた彼(写真)は、体に汚物が付着しており、全身にハエがたかっていた。精神障害を抱えた子どもの中にも、紛争で両親を殺害されている子どもも多く、彼らはより支援が必要とされている。現地スタッフ「精神障害を抱えた子は重荷になるから、引き取ろうとする人も少ない」

 

ウガンダ北部における南スーダン難民の現状は、想像以上に深刻だ。一方で、「食料が足りない」「教育が足りない」など難民から聞く課題やニーズは様々ではあるものの、現場の支援動向や必要とされていることも少しずつ見えてきている。少なくとも一つ確実に言えることは、支援は全く足りていないということ。

 

今月22日には、南スーダンで飢饉が宣言されたことを受けて、イギリスとEUは1億7000万ポンドの支援を表明している。今後日本政府が南スーダンに対してどのような人道支援を行うかに注目しつつ、私が現場から発する情報の拡散にもご協力頂きたい。