原貫太のブログ

フリーランス国際協力師/原貫太のブログです。国際協力やアフリカ、原貫太の活動について発信します。

インド、レンガ窯から200人の子どもを救出 現地で感じた児童労働の難しさ

今月4日(水)、インド当局は、テランガーナ州(Telangana)のヤダディリ地区(Yadadiri District)におけるレンガ工場で児童労働に携わっていた子ども約200人を救出したと発表した。

 

The GuardianSputnik Internationalが報じている。救出は、児童労働や行方不明の子どもなどの問題に取り組む国家キャンペーンである「オペレーション・スマイル(Operation Smile)」の一環として行われた。

 

レンガ工場では、7歳や8歳の女の子までもがレンガを手で運んでいたことが指摘されており、中には4歳の子どもまでもが含まれていたとも報じられている。

 

ILO(国際労働機関/International Labor Organization)の統計によれば、児童労働に携わる5歳以上17歳以下の子どもはインドだけで約580万人、南アジア全体では約1670万人存在するが、あくまでこの数は控えめな見積もりのため、実際の数はさらに上回ると考えられている。

 

南アジアで2番目に児童労働の数が多いのはバングラデシュの500万人、以下パキスタン340万人、ネパール200万人と続いている。

 

全世界では、1億6800万人の子どもが児童労働に携わっていると言われているが、2000年のデータ(2億4600万人)に比べると、その数は約3分の2へと減少している。地域別にみると、最も児童労働に携わる子どもの数が多いのはアジア・太平洋地域の約7800万人で、子ども人口の約9.3%、つまり約10人に1人の子どもが児童労働に関わっていることになる。

 

一方で、割合が最も深刻なのはサハラ砂漠以南地域で、子ども人口の21%以上にあたる約5900万人の子どもが児童労働に携わっている。

 

一方で、昨年5月には、オーストラリアの人権団体Walk Free Foundation(以下WFF)が報告書『2016 Global Slavery Index』を発表しており、世界で「現代の奴隷」状態にある人の数は、成人と子どもを合計すると4580万人にも及ぶ事が明らかになっている。インドには推計1835万人の「奴隷」がいるとされており、その数は世界で最も多い。

 

現代の奴隷とは、例えばインドのカースト制など、生まれながらにして奴隷状態にある人や、強制労働者、また性的労働の為に人身売買された人などを指し、彼ら彼女たちの多くが、暴力や脅迫などによって自由を阻害されている。

 

この報告書によれば、日本は29万人の「奴隷」を抱えているとされ25位にランクインしており、紛争の続くイエメン(24位/約30万人)とシリア(26位/26万人)に挟まれている。

 

  

バングラデシュで児童労働問題(ストリートチルドレン問題)に取り組んでいて難しいと感じたのが、

 

  • 彼らは働かないと生きていけない経済状況にある
  • 「労働」は彼らが生計を立てるための一手段である

 

という事実だ。

 

たしかに、義務教育を受けるべき年齢である15歳未満の子ども(途上国では14歳未満)が教育の機会から剥奪されたり、また18歳未満の子どもが心身の成長に悪影響を及ぼすような危険な労働に携わっているようでは、それは児童労働(Child Labor)と定義され、改善されるべき問題として立ち上がる。

(ちなみに、子どもの教育機会や安全が保障された上で、彼らの成長にプラスになるような「Child Work(子どもの仕事)」「Child Labor(児童労働)」は違う。この辺りは今度書きます)

 

その一方で、その後(児童労働の環境下から彼らを救い出した後)のセーフティーネットや彼らへの支援策などもしっかり考慮しておかないと、生きるために必要なお金を稼ぐ手段を子ども達から奪うこととなり、結果として彼らの生活をさらに窮地へと追いやることにも繋がりかねない。

 

この、ある種バランスを考える難しさが、現場で「働く子供たち」や彼らを支援するNGOの活動などを見てきて感じることだ。実際、「彼らは働かないと生活を送ることが難しい」という事実も認めた上で、完全に労働から彼らを切り離すのではなく、休憩場所や(仕事の)空き時間での教育機会を提供する、といった支援を行う現地NGOも存在する。

 

毎年6月12日の児童労働反対世界デー(World Day Against Child Labor)になると、日本を含めて世界中で児童労働を問題視する声が上がる。しかしながら、何でもかんでも「児童労働反対!根絶!」と一方向に唱えるのは、現場における「現実」を無視しており、下手すればただの偽善にしかならないとも感じます。