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ウガンダ内戦のリアル 反政府軍で14年過ごした元子ども兵のインタビュー

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1980年代から20年以上続いたウガンダ内戦では、約3万人の子どもが誘拐され、望まない兵士として過ごすことを余儀なくされた。

 

現在のウガンダは内戦から立ち直り、反政府組織「神の抵抗軍」が活動していた北部でも、国際機関やNGOによって開発が進んでいる。

 

一方で、幼い頃に誘拐され、戦うことしか教えられてこなかった元子ども兵たちは、社会の中で仕事を得ることが難しいのはもちろん、トラウマや差別に苦しめられている者も多い。

 

 

2016年1月、僕は単身ウガンダ共和国に渡航し、そこで一人の元子ども兵と出会う。14年間反政府組織に拘束されていた、アイ―シャさんだ。

ウガンダ 内戦

アイ―シャさん(写真右)

 

 

実際に元子ども兵の方から話を聞くことで、ウガンダ内戦の爪痕は、紛争が終わり15年以上が経つ今も、生々しく残されていることを実感した。

 

 

ウガンダ内戦のリアルに迫る。

 

 

 

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20年以上続いたウガンダ内戦、10万人が犠牲に

ウガンダ 内戦
内戦の影響を大きく受けたウガンダ北部で撮影

 

 

アフリカ東部に位置する国、ウガンダ共和国。

 

この国の北部では、20年以上にわたって続いた内戦の影響により、衣食住といった「人間としての基本的ニーズ」を満たせずに暮らす人々が、未だ数多く残されている。

 

1990年代半ば以降、ウガンダ北部では反政府組織「神の抵抗軍」(Lord's Resistance Army=LRA)による村の襲撃や子どもの誘拐が多発。この内戦で、少なくとも10万人以上が犠牲になった。

 

 

ウガンダ内戦では3万人の子ども兵が生まれた

ウガンダ 内戦

 

ウガンダ内戦でとりわけ注目されているのが、子ども兵の問題だ。

 

内戦中、反乱軍である「神の抵抗軍」は、戦力を補強するため毎晩のように村や避難民キャンプを襲い、子どもを誘拐した。これが、内戦が終結した後もこの国に大きな爪痕を残す子ども兵の問題に繋がる。

 

「神の抵抗軍」によって誘拐された子どもたちは、キャンプでの訓練に参加させられ、強制的に兵士として戦わされた。

 

ウガンダ内戦では推定3万人の子どもが誘拐され、一時期は兵力の約8割が子どもだったとも言われる。

 

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子ども兵の役割は様々

ウガンダ 内戦

 

子ども兵は、水汲み、食事の準備、荷物運びといった雑用から、政府軍との戦闘や村の襲撃、新たな子どもの誘拐まで、多くの仕事に使われた。

 

また、中には地雷原を渡る際の”人間地雷探知機”や、弾除け、つまり”人間の盾”として利用されるケースもあったという。

 

 

ウガンダ内戦では数多くの「少女兵」も生まれた

ウガンダ 内戦

 

「神の抵抗軍は子ども兵を洗脳するために、自分の手で、肉親や兄弟、親戚を襲わせるんだ。」

 

ウガンダ北部で元子ども兵の社会復帰を支援するNGOスタッフから聞いた話だ。家族を襲わせること、地元の村を襲わせることは、子ども兵が脱走し、家に戻ろうとするのを防ぐ「神の抵抗軍」の手段だった。

 

 

「少年兵」という言葉に聞き覚えがある人は多いだろうが、子ども兵の中には女の子、つまり「少女兵」も存在する。ウガンダ内戦でも、多くの少女兵が生まれている。

 

少女兵の場合、従軍中に大人の兵士と強制結婚をさせられ、子どもを産むケースも多々ある。そこで出来た子どもは、「神の抵抗軍」から脱退し、元子ども兵が村に帰還した後も「汚れた子だ」と烙印を押され、差別を受けることもある。

 

ウガンダ内戦が終結した後も、元子ども兵たちの「帰る場所」はなかった。

 

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ウガンダ内戦の小さな犠牲者 元少女兵アイ―シャさん

ウガンダ 内戦

アイ―シャさんへのインタビュー中の様子

 

2016年1月、僕はウガンダ共和国北部最大の都市、グルを訪れた。目的は、実際に元子ども兵から話を聞き、ウガンダ内戦の爪痕をこの目と耳で確かめることだ。

 

 

今回、日本の民間NGO「テラ・ルネッサンス」が行う社会復帰支援施設に足を運び、特別に元子ども兵の方から話を聞くことができた。インタビューに応じてくれたのは、「神の抵抗軍」に14年間拘束されていたアイ―シャさん(仮名)だ。

 

 

ウガンダ内戦を生き抜いた壮絶な経験にもかかわらず、日本人大学生である僕に打ち明けてくれた彼女に心からの感謝を示し、ここにそれを記したい。

 

※内容は、彼女の証言とウガンダ人スタッフによる通訳に基づきます。

 

 

12歳の時、彼女は「神の抵抗軍」に誘拐された

2000年12月19日の真夜中、彼女は「神の抵抗軍」に誘拐された。当時、彼女はまだ12歳だった。

 

「拘束された時から、密林を歩き回る生活が始まりました」そこには数え切れないほど多くの困難が彼女を待ち受けていた。

 

「一日中重い荷物を持たされ、森の中を走りました。休息は夜に少し取るだけ。非常に辛く、苦しいものでした」この厳しい生活に慣れることは非常に難しかったと彼女は僕に語る。

 

 

「襲撃」を慣れさせた神の抵抗軍

ウガンダ 内戦

 

人が襲われる所を、何度も目撃した。「神の抵抗軍」は、アイ―シャに襲撃の現場を見せたがっていたのだ。

 

誘拐された2000年から2003年までの3年間、ウガンダ北部の茂みを歩き回る生活が続いた。

 

その後、ウガンダ政府軍による「神の抵抗軍」の掃討が勢いを増してくると、ウガンダでの生活は難しくなる。2004年、彼女を含む神の抵抗軍の兵士たちは、合計4回にわたって拠点をスーダン内へ移した。

 

 

スーダンに拠点を置いている間も、何度か越境してきたウガンダ政府軍による掃討があったため、拠点をさらに隣国のコンゴ民主共和国へと移した。2006年のことだ。

 

アイーシャは常に「神の抵抗軍」と行動を共にしなければならなかった。それは、まだ幼い彼女にとっては非常に辛く、苦しいものだった。

 

 

見せしめとしての罰

ウガンダ 内戦

 

コンゴ民主共和国滞在時、彼女は脱走を試みる。脱走のリスクは大きかった。脱走に失敗し捕まれば、それに対する罰は非常に厳しく、非人道さを極めていたという。時にそれは、命を失うことにも繋がった。

 

「ある夜に他の仲間と脱走を試みましたが、捕まり、鞭で200回叩かれました。それからは脱走する事は諦めました」

 

 

コンゴの密林を、「神の抵抗軍」と共に走り回る。そんな生活が長く続いたある日、彼女に子どもが産まれた。

 

幼い子どもを連れながら、ウガンダ政府軍から逃れるために茂みの中を走るのは、耐えきれないほど辛かったと彼女は語る。

 

子どもを抱き、銃を担ぎ、身の回りの物を背負い、茂みの中を走る。筆舌に尽くしがたいほど、辛かった。

 

 

コンゴ民主共和国から中央アフリカ共和国に移動し、またコンゴに戻り…、そんな生活が長く続いた。2014年、彼女はウガンダ政府軍に救出されたが、2000年に誘拐された時から実に14年間、アイーシャは「少女兵」としての生活を強いられたのだった。

 

 

脱退した今は

政府軍に救出されてからの生活は、茂みの中でのそれとは全く違うと彼女は話す。「ここでは、人々はお互いの権利を尊重し合い、私たちは守られています。」

 

「神の抵抗軍」に拘束されていた頃は何も発言することが出来ず、ただただ、上官からの命令に従うほかなかった。

 

「荷物を運べ」と言われれば荷物を運び、「村を襲え」と言われれば村を襲った。命令に背けば、時には殺されるまで罰が下された。それはあまりにも非人道的だった。

 

拘束から逃れて地元へ帰還した時、アイーシャには3人の子どもがいた。持ち物は何も無かった。それでも、彼女は幸せだった。「神の抵抗軍」の拘束から逃れることができた、ただそれだけで、幸せだった。

 

 

「今はテラ・ルネッサンスで技術訓練や基礎教育を受けられる。そのことが、今の私を幸せにしてくれます。ここでの学びを活かして、テラ・ルネッサンス卒業後は、もう一度自分の人生を変えたい。そして、子どもたちの未来を支えたい。そう願っています」

 

 

内戦の被害者から直接話を聞いた者として

ウガンダ 内戦

 

アイーシャさんの壮絶な経験談を聞きながら僕は、メモを取る手が震えてしまった。

 

アイーシャさんと出会う前にも僕は、バングラデシュで路上暮らしのストリートチルドレンから話を聴いたり、ルワンダで虐殺の目撃者から話を聴いたり、ウガンダではHIV/エイズ遺児から話を聴いたりなど、いわゆる社会的弱者からたくさん話を聴いてきた。

 

例えば、バングラデシュのストリートチルドレン。彼らの中には、

 

「両親が病死し、農村での暮らしが厳しくなったから、首都にやって来た。だけど、住む場所もないし、頼れる人もいない。だから毎日、学校にも通わず、荷物運びや物乞いをして何とか日銭を稼いでいる。」

 

そんな話をしてくれる子どももいた。一方で、厳しい生活状況に置かれながらも、彼らが時々見せてくれる笑顔や、力強く生きる姿が印象的だった。

 

 

しかしながら、僕がウガンダで出会った元子ども兵たちは、もう本当に、辛そうに、悲しそうに、今にも泣き出しそうな様子で、従軍中の経験を語るのだ。その姿を見ながら僕は、メモを取る手が震えてしまい、インタビュー終了後にはただ一言

 

”Thank you for talking about your experience.”(話をしてくれてありがとう。)

 

という言葉しかかけられなかった。

 

 

僕は、アイーシャさんのインタビューを終えた後、ある言葉を思い出す。

 

 

"苦しみはそれを見た者に責任を負わせる"

 

 

フランスの哲学者ポール・リクールの言葉だ。

 

 

アイーシャさんの苦しみを見た人間として、内戦の被害者から直接話を聴いた人間として、「何か」をしなければならない。そう強く決心したことが、僕がアフリカでの活動に本格的に関わっていくことに繋がっていく。

 

 

【これだけは読んでほしい】『世界を無視しない大人になるために』

ウガンダ 内戦

 

 「脱走を試みましたが捕まり、鞭で200回叩かれました。」

 

14年間を反政府軍で過ごした元少女兵との出会い。アフリカでの「原体験」を書いた『世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援』。

 

ただ僕たちが「与える」「教える」だけが国際支援のあるべき姿ではない。絶望的な状況に置かれながらも、自分たちの力で困難を乗り越えていく彼らの姿から、日本人の私たちが学ぶべきことはたくさん存在する-。 

 

この本は、僕の処女作にして、渾身の力で書いた一冊。一人でも多くの人たちに届き、「世界を無視しない大人」がもっと、もっと増えてほしい。 

 

 

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