原貫太公式ブログ「世界まるごと解体新書」

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他国の紛争にどれだけ責任を負うべきか―ルワンダ虐殺におけるアメリカの失敗を再考


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前回の記事では、「フツ VS ツチ」という民族対立の構図が植民地時代のヨーロッパ(ベルギー)によって作られたことを説明しました。間違っても「アフリカの人たちは元々野蛮だから民族間で争った」なんて考えてはいけません。

 

1994年4月7日から虐殺が始まり、その後わずか100日間で推定80万人の殺害。ルワンダ・ジェノサイドの死亡率は、第二次世界大戦中にナチスドイツによって行われたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の実に3倍にも上ると言われています。

 

では、なぜこれほどまでに多くの人が短期間で殺害されてしまったのか。きっとあなたは思うでしょう。世界、特にアメリカのような大国はなぜ何もしなかったのか、と。

 

トランプ政権によるシリアへの"人道的介入"(" "付きであることを忘れないで下さい)によって、ある一国内の紛争に対する国際社会の責任や役割について改めて議論が巻き起こっている今日。自衛隊が南スーダンから撤退し始めた日本も、「他国の紛争にどれだけ犠牲を払えるか、どれだけ責任を負うべきか」について、今一度考えなくてはなりません。1994年のルワンダ虐殺におけるアメリカの失敗を再考します。

 

冷戦後のアメリカによる人道的介入とソマリアでの失敗

実はアメリカは、1989年のマルタ会談で冷戦が終結してからの数年、具体的にはルワンダ虐殺が始まる前年の1993年までは、世界の平和維持活動を積極的に行っていました。もちろん、国益に関わる紛争地域への介入もありましたが、一部の研究者や専門家は、「この期間のアメリカの軍事介入はHumanitarian(人道的)にも行われていた」と指摘しています。

 

つまり、冷戦の崩壊によって共産主義や全体主義が世界に広がっていくという懸念が払しょくされたことによって、よりリベラルな政策をとることが可能となったのです。当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領(いわゆる父ブッシュ)は、1991年3月6日の「新世界秩序」演説で、以下のように語っています。

 

今日まで我々が知っていた世界とは、分断された世界―有刺鉄線とコンクリートブロック、対立と冷戦の世界でした。今、我々は新世界への到達を目にしています。まさに真の新世界秩序という可能性です。ウィンストン・チャーチルの言葉で言えば、"正義と公正の原理により弱者が強者から守られる世界秩序"です。国連が、冷戦という行き詰まりから解放され、その創設者の歴史観を貫徹する準備の出来た世界、自由と人権の尊重が全ての国家において見出せる世界です。(Wikipediaより引用)

 

しかしながら、その後アメリカは、ソマリアで悪夢を見ます。

 

1990年代初頭、「アフリカの角」ソマリア。今も変わらずそうですが、ソマリアではあらゆる民兵組織や軍閥が跋扈して、政府の力がほとんど及んでいないまさに無法地帯。人道支援機関の援助ルートを軍閥が遮断し、支援物資が届けられず、ソマリアの国民は深刻な飢餓・栄養不要に苦しんでいました。

 

アメリカは、ソマリアの内戦へ平和維持軍として軍事介入を試みます。この軍事介入は、冷戦終結後で行われた軍事介入の中では最初の「純粋な人道的介入」(簡単な言葉でいうと、国益、つまりアメリカのためになるから介入するのではなく、純粋にそこで困っている人たちを助けるための介入)だったとも言われています。

 

しかしながら、映画『ブラックホーク・ダウン』でも描かれたように、結果としてアメリカ兵18人が死亡。その遺体が市内を引きずり回される映像が流されるなどしたこともあり、アメリカの世論は撤退や紛争地への介入に対する消極的な姿勢へと大きく傾いた。「なぜ私たちの国の『未来』を、アフリカの野蛮な黒人なんかに奪われなければならないの?」と怒りに震える人々。普通、そう思いますよね。仮に自衛隊員が今派遣されている南スーダンで犠牲になるようなことがあれば、同じような世論が日本国内からも出てくるはずです。

 

国内世論を伺ったビル・クリントン元大統領

そのため、ルワンダ虐殺当時のビル・クリントン大統領は、ルワンダへのアメリカの関与に対しても消極的になりました。政治家は当然、国民の顔色を伺うからです。自分が再選するためにも。結果として、世界の大国アメリカが常任理事国の一国を務めている国連安全保障理事会も、無機能に陥ります。(安全保障理事会の常任理事国はアメリカ・イギリス・フランス・中国・ロシア)

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ビル・クリントン大統領

 

アメリカは1994年4月、まさに虐殺が始まる時に、国連に対して国際連合ルワンダ支援団(ルワンダの国連平和維持軍(PKO))の撤退を呼び掛けています。

 

また、ルワンダ虐殺が起きた際、アメリカ政府は「ジェノサイド」という言葉を使うことを躊躇しました。仮にルワンダで進行中の事態を「ジェノサイド」と認めるような発言をしてしまうと、1948年の「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)の批准国として行動・介入する必要性が生じてくるためです。代わりに使われた言葉は、"acts of genocide"。日本語にすると、「ジェノサイドのような行動」になるでしょうか。

 

また、虐殺の開始当初には、ベルギーの平和維持部隊兵10名が民兵に殺害されたこともあり、国連は安保理決議912号を可決。これによって、国連平和維持部隊は2,500名から、4月21日には300名まで削減されました。4月21日は、本ブログでも度々紹介しているムランビ技術学校で4万5千人が殺害された日でもあります。

 

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虐殺が始まってすぐにベルギー兵が殺害されたのは、たまたまではありません。知っていたのです。虐殺を主導した民兵たちは。外国人兵士を殺せば、ソマリア内戦の時と同じように、外国の邪魔者たちは撤退していくと。

 

なお、ビル・クリントン大統領は、ルワンダ虐殺後に「私たちが虐殺を終わらせられたとは思わないが、減らすことはできたと思う」とCNNに対して述べています。また、5年後に行われたインタビューでは、

 

「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている」(引用元「山本敏晴のブログ」

 

とも語っているのです。

 

以上が、アメリカがルワンダ虐殺に介入しなかった、つまり殺されていくルワンダの一般市民たちを助けようとしなかった経緯と理由です。

 

一国内で起きている"殺し合い"に対して、国際社会がどのような責任を負うかという議論には、とても難しいものがあります。ルワンダ虐殺後には「保護する責任」や「人間の安全保障」といった国際社会の進歩が見られたものの、6年以上続くシリア内戦では既に32万人以上が亡くなっており、また自衛隊が派遣されている南スーダンでは160万人以上が難民になるなど、特に中東やアフリカでは、今なお多くの一般市民が"不条理な苦しみ"へと追いやられています

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photo by MONUSCO Photos

 

私たちは、他国で起きている殺害、略奪、レイプ、人権侵害などに対して、どこまで責任を負い、どこまで犠牲を払えるのでしょうか。それらの紛争や貧困を、「どこか遠くの国の出来事」として終わらせてもよいのでしょうか。

 

それでも私たちは、世界を無視できるのでしょうか。

 

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