原貫太オフィシャルブログ

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ルワンダ虐殺、フツ族ツチ族の対立はこうして創り出された。

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たった100日間で80万人が殺害されたルワンダ虐殺。その死亡率は、ナチスドイツによるホロコーストの3倍とも言われている-。

 

 

ルワンダ虐殺については、映画『ホテル・ルワンダ』を通じて知っている人も多いでしょう。1994年4月7日からのたった100日間で、多数派フツ族により少数派ツチ族約80万人が殺害されました。ルワンダ虐殺は、”アフリカで起きた20世紀最大の悲劇”とも言われます。

 

今回の記事では、筆者が実際にルワンダ虐殺の跡地を訪問した際に撮影した写真とあわせて、ルワンダ虐殺が起きた根本原因であるベルギーが創り出したフツ族対ツチ族の対立を解説します。

 

 

 

 

そもそもルワンダ・”ジェノサイド”とは?

ルワンダ虐殺
ルワンダ虐殺の際、1万人以上のツチ族が殺害された教会の跡地。フツ族の民兵たちが中に侵入するために破壊した門が当時のまま保存されている。筆者撮影。

 

ジェノサイド=大量虐殺?

ルワンダ虐殺は別名、「ルワンダ・ジェノサイド」とも呼ばれます。

 

ジェノサイド(Genocide)の日本語訳として「大量虐殺」「集団殺害」という言葉が使われますが、厳密にはこれは間違っています。少し難しいですが、大事な所なので開設させてください。

 

国際法的な「ジェノサイド」の定義は、多くの場合1948年に国連で採択された「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」の第二条に由来します。それによれば、ジェノサイドとは

 

”国民的、民族的、人種的、または宗教的な集団の全部または一部を、それ自体として破壊する意図

 

をもって行われる、以下5つの行為を指します。

 

  • 集団の構成員を殺すこと
  • 集団の構成員に対して重大な身体的又は精神的な危害を加えること
  • 集団に対してその全部又は一部に身体的な破壊をもたらすよう意図された生活条件を故意に課すること
  • 集団内における出生を妨げることを意図した措置を課すること
  • 集団の子供を他の集団へと強制的に移すこと

 

ジェノサイドの正式な訳語は「集団抹殺」

ご覧の通り、定義上「ジェノサイド」には殺害が含まれないことがあります。そのため、訳語として「虐殺」「殺害」といった言葉が入るのは、厳密には間違いです。

 

より正確な言い方では、ジェノサイドは「集団抹殺」と訳します。専門家はこの訳し方をしますね。

 

まぁ、ルワンダ虐殺だけではなく、カンボジア、スレプニツィア、ダルフール…世界中で起きたジェノサイドでは、数え切れないほど多くの人々が殺されているのですが…。

 

 

フツ族とツチ族の間に違いはなかった。白人が来るまでは…。

ルワンダ虐殺

たった一夜で45,000人が亡くなった学校の跡地。筆者撮影。

 

80万人が犠牲になったルワンダ大虐殺

高校の世界史でも習う、ルワンダ虐殺。フツ族、ツチ族といった言葉に聞き覚えがあると思います。 

 

ルワンダ虐殺では、1994年の4月から7月までの100日間で、多数派のフツ族(国民の約85%)が、少数派ツチ族と穏健派フツ族約80万人を殺害しました。

 

きっと、多くの人が「よく聞くアフリカの民族対立だ」「フツ族、ツチ族は、どうして違う民族同士仲良くできなかったんだろう?」と疑問に思うでしょう。もしかしたら、「アフリカ人は本当に野蛮な奴らだよな」とすら感じる人もいるかもしれません。

 

しかし、そう思う前にルワンダの歴史、特に「植民地時代」という歴史の負の遺産に目を向けなければなりません。

 

 

フツ族、ツチ族の違いは認識されていなかった

1918年の第一次世界大戦終結までは、ドイツ領東アフリカに置かれていたルワンダ。その後、ドイツの敗戦と同時に、ルワンダはベルギー統治下に移ります。

 

上述したように、ルワンダ・ジェノサイドでは、多数派のフツ族が少数派のツチ族(と穏健派フツ族)を虐殺しましたが、本来この両者の区別は、あってないようなものでした

 

かつて少数派のツチ族がルワンダ王国を支配していたとき、フツ族は農耕、ツチ族は牧畜を営むといった生活の違い、また身長や皮膚の色に多少の違いは見られたものの、両者がお互いの違いを明確に認識していたわけではなかったと言われています。

 

 

フツ・ツチの対立はベルギーが創り出した

ルワンダ虐殺
ルワンダ首都キガリにある虐殺記念館

 

フツ族、ツチ族を区別するためのIDカードまで導入

しかし、ベルギーがルワンダの植民地化を行う過程で、「ツチ族の方がヨーロッパ人に近くて優れている」という人種的差別観を持ち込み、フツ族とツチ族が対立する根本的原因が生まれたのです。

 

例えば、ベルギーはほぼ全ての首長をツチ族に独占させた上に、税や教育などの面においてもツチ族を優遇。1930年代には、フツ族・ツチ族の身分を区別するためのIDカードまで導入しました。映画の中でも描かれていましたね。

 

つまり、宗主国ベルギーは少数派ツチ族を中間支配者層に、大多数のフツ族を更なる支配下に置く、「分断統治」を導入したのです。これにより、大多数を占める被支配者(=フツ族)の不満は中間支配者(=ツチ族)に向かうため、ベルギーはルワンダの植民地経営を円滑に行えた、というわけです。

 

 

ルワンダだけではない。あちこちで分断統治したヨーロッパ

ルワンダ虐殺
ウガンダ北部で暮らす南スーダン難民の子どもたち

 

ルワンダの隣国ウガンダではイギリスが分断統治を導入

ヨーロッパ諸国がアフリカを植民地経営する際、このような分断統治がしばしば導入されました。

 

例えば、ルワンダの隣国、ウガンダ。宗主国イギリスは植民地時代、ウガンダ南部の人々には教育の機会をはじめ数多くの特権を与える一方で、北部のアチョリ族をしばしば迫害しました。

 

そのため、北部の人々が抱える不満は宗主国のイギリスのみならず、南部の人々にも向けられます。結果、イギリスからの独立後、ウガンダでは反政府組織「神の抵抗軍」が北部アチョリ族の中から登場し、内戦中は3万人以上の子ども兵士が生まれました。

 

拙著『世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援』の中でも登場した元少女兵のアイ―シャさんも、その犠牲者の一人です。

 

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ルワンダ虐殺を含め、アフリカで起きる紛争の原因は、アフリカの中だけにあるのではありません。植民地時代にヨーロッパが好き勝手な支配をしてきたことが、今日までアフリカで紛争が続く根本的な原因になっています。

 

 

ルワンダ虐殺をもっと知りたい人は

ルワンダ虐殺


ルワンダ虐殺に繋がった大きな原因であるフツ族・ツチ族の対立が、植民地時代にベルギーによって創り出されたものであることを解説しました。

 

ルワンダ虐殺関連本としては、内戦当時にPKO司令官としてルワンダに赴任していたロメオ・ダレール著作『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記』が有名です。

 

100日間で80万人が虐殺された。それも多くはマチェーテと呼ばれる山刀で。なんと数ヶ月前から、そこには国連PKO部隊がいて、危険を察知していた。しかし、彼らは手を拱いて傍観するしかなかった。PKO部隊の司令官自身が痛恨の思いで綴る惨劇の顛末。Amazon商品ページより引用)

 

アフリカで起きた20世紀最大の悲劇、ルワンダ虐殺。もっと詳しく知りたい人は、ぜひロメオ・ダレールの著書もチェックしてみてください。 

 

 

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