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原貫太公式ブログ「世界まるごと解体新書」

アジア・アフリカでの活動からニュース解説記事、ライフハックまで。原貫太が世界をまるごと解体します。

ルワンダ虐殺の背景 ヨーロッパによる植民地化がもたらした「民族」対立

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先日書いた記事、「"Never Again" Again. 一夜で4万5千人が虐殺された跡地から、先進国日本に暮らすあなたへ」にとんでもなく大きな反響がありました。

www.kantahara.com

 

ルワンダ虐殺は『ホテル・ルワンダ』『ルワンダの涙』といった映画を通じて知っている人も多いかと思います(観てない人は絶対に観て下さい!)。また、現在ではルワンダの治安も良いことから旅行で現地を訪れる人も多く、"世界の不条理"の一つとしてはとても関心を持たれやすいトピックだと思います。「夫が妻を殺し、妻が夫を殺した。隣人が隣人を殺し、また別の隣人が隣人を殺した」。こんなこと聞けば、誰だって「知りたい」と思いますよね。ちなみに僕は『ルワンダの涙』推しです。

 

一方で、偏った解説や感想記事を時々目にすることもまた事実です。数回にわたって、ルワンダ虐殺について高校生でも分かるように書きたいと思います(多分無理)

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1万人以上のツチ人が殺害されたと教会の跡地。民兵たちが中に侵入するために破壊した門が、そのままの形で保存されている。

 

植民地時代にヨーロッパが持ち込んだ「民族」対立

ルワンダ虐殺は、別名「ルワンダのジェノサイド」とも呼ばれます。いきなり余談ですが、「ジェノサイド」(Genocide)の日本語訳としてはしばしば「大量虐殺」「集団殺害」という言葉が使われますが、厳密にはこれは間違いです

 

国際法的なジェノサイドの定義は、多くの場合1948年に国連で採択された「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)第2条によります。それによれば、ジェノサイドとは”国民的、民族的、人種的、または宗教的な集団の全部または一部を、それ自体として破壊する意図”をもって行われる以下5つの行為を意味します。

 

・集団の構成員を殺すこと

・集団の構成員に対して重大な身体的又は精神的な危害を加えること

・集団に対してその全部又は一部に身体的な破壊をもたらすよう意図された生活条件を故意に課すること

・集団内における出生を妨げることを意図した措置を課すること

・集団の子供を他の集団へと強制的に移すこと

 

これを見れば分かる通り、ジェノサイドはその定義上、殺害が含まれないことがあるんですね。そのため、訳語として「虐殺」「殺害」言葉が入るのは間違いです。専門家は、「集団抹殺」といった言い方をします。まぁ、ルワンダもカンボジアもスレプニツィアもダルフールも、数え切れないくらい多くの人々が亡くなっているのですが。

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虐殺の跡地に安置された犠牲者の遺骨

 

高校の世界史でも多くの人が習ったであろう、ルワンダのジェノサイド。フツ人、ツチ人*といった言葉に聞き覚えがあるかと思います。

 

※しばしば「フツ族」「ツチ族」といった表記がされることが多いですが、「部族」を意味する「tribe」というのは、白人たちがアフリカへとやって来た後、現地の人たちを見て「野蛮な人たち」と差別的な見方をして使われ始めたという歴史背景があるため、ここでは「族」は使わず、「人」を使います。

 

ルワンダ・ジェノサイドでは、1994年4月~7月の100日間に、多数派のフツ(国民の約85%)が少数派ツチ(国民の約15%)と穏健派フツ約80万人を殺害。きっと、多くの人が「よく聞くアフリカの民族争いだ」「どうして違う民族同士仲良くできないんだろう?」と疑問に思うでしょう。もしかしたら、「アフリカの人たちはほんと野蛮だよな」とすら思っている人もいるかもしれません。しかし、そう思う前にまずは、ルワンダの歴史、特に植民地時代という歴史の負の遺産に目を向けなければなりません

 

1918年の第一次世界大戦終結まではドイツ領東アフリカに置かれていたルワンダ。その後、ドイツが戦争に負けたと同時にベルギーの統治下へと移ります。

 

上述したように、ルワンダ・ジェノサイドでは、多数派のフツ人が少数派のツチ人(&穏健派フツ人)を虐殺しましたが、本来この両者の区別は、あってないようなものでした。少数派のツチ人がかつてルワンダ王国を支配していた時、フツは農耕、ツチは牧畜を営むといった生活の違い、また身長や皮膚の色に多少の違いは見られたものの、両者がお互いの違いを明確に認識していたわけではなかったと言われています

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キガリ虐殺記念館

 

しかしながら、ベルギーがルワンダの植民地化を行う過程で、「ツチ人の方がヨーロッパ人に近くて優れている」という人種的差別観を持ち込み、両者が対立する原因が生まれました。例えば、ほぼ全ての首長をツチ人に独占させた上に、税や教育などの面においてツチ人を優遇。1930年代にはフツ人・ツチ人の身分を区別するためにIDカードを導入するまでに。映画の中でも描かれていましたね。

 

これによって、宗主国ベルギーは少数派ツチ人を中間支配者層に、そして大多数のフツ人を更なる支配下に置く、分断統治を導入したのです。これによって、大多数を占める被支配者(フツ人)の不満は中間支配者(ツチ人)に向かうため、ベルギーは植民地経営を円滑に行えるようになりました。

 

ヨーロッパ諸国がアフリカの植民地経営を行う時、このような分断統治がしばしば導入されました。例えば、隣国のウガンダ。宗主国であったイギリスは植民地経営時代、ウガンダ南部の人々には教育の機会など数多くの特権を与える一方で、北部のアチョリ人をしばしば迫害してきたのです。そのため、北部の人々が抱える不満は宗主国のイギリスのみならず、南部の人々にも向けられ、結果としてイギリスからの独立後、このブログでもしばしば紹介している反政府組織「神の抵抗軍」が北部アチョリの中から登場することになります。そして、内戦中には3万人以上の子どもが誘拐され、望まない兵士としての生活を強いられることになりました。

 

<書籍紹介>

ルワンダのジェノサイドをどこよりも、何よりも詳しく知りたい人にはフィリップ ゴーレイヴィッチの大著『ジェノサイドの丘』がオススメです。

 

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