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本当に意味のある国際協力の「答え」-南スーダン難民との出会いが私に考えさせたこと


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ウガンダ北部の南スーダン難民居住区にて撮影(photo by Confront World)

 

そもそも、国際協力とは何を意味するのだろうか。「国際協力をしたい」「国際協力を仕事にしたい」といった人は多いが、そこで使われている「国際協力」という言葉の定義は、一体何なのだろうか。先日、『結局、「国際協力」という言葉の意味は?アフリカに行くことだけが「国際協力」?』でその辺りを書いた。

 

今日は話を変えて、「本当に意味のある国際協力」について少し考えたい。

 

しばしば、「国際協力は自己満足だ」と断言する人がいるが、基本的に私は、国際協力は自己満足であってはならないと思う。学生の中には、「時間に余裕がある学生の間だけ、自分の価値観や考え方を磨くために、国際協力(や海外での活動)に携わる」という人もいるが、それでも国際協力は、自己満足に陥ってはいけないと思う。

 

理由は二つある。

 

一つは、国際協力を実践するNPO・NGOの活動は、多くが寄付や会費によって成り立っているからだ。「世界を良くするために、社会問題を解決するために使って欲しい」との想いが込められたお金を、自己満足の活動に使ってはならない。

 

もう一つは、国際協力は、誰かの人生に関わる活動だからだ。これは別に、国際協力のみならず、ビジネスやその他の世界でも通じることだろうが、特に現場での支援活動は「受益者」と呼ばれる社会的に弱い立場に置かれた人たちがいるからこそ、しっかりとした結果を残すことが求められるし、その結果は自己満足ではなく、受益者の生活をより良い方向へと導いていくものである必要がある。

 

簡単に、国際協力が自己満足であってはならない理由を書いたが、では「本当に意味のある国際協力」とは何を意味するのだろうか。

 

私が尊敬する「国際協力のプロ」山本敏晴さんは、その生涯をかけて「本当に意味のある国際協力」を追求している方だ。彼はこんな言葉を残している。

 

 

「本当に意味のある国際協力」の一つの答え。現場で今「必要」とされることがあるのなら、自分がやりたくないことであっても実践に移し、専門性が必要になるなら、それを身につけようとする「姿勢」を追求すること。今必要なことのために、今全力で行動を起こすこと。就活をせずに自分で新組織を設立し、とりわけ南スーダン難民支援事業の立ち上げに関わっている私は、最近特にこの事を意識しながら日々活動している。

 

今年1月~3月にアフリカに滞在していて、ウガンダの少年兵・少女兵問題や南スーダンの難民問題といったまさに"世界の不条理"と現場で対峙していると、本当にたくさんのことを考えさせられた。その中でも私は、「今必要なことのために、今行動を起こすこと」の大切さを強く感じた。

 

南スーダン紛争は、残念ながら現在進行形の紛争だ。今私が記事を書いているこの瞬間も、今あなたが記事を読んでいるこの瞬間も、国内では飢饉によって避難民は餓死し、殺害やレイプの現場を目の当たりにした難民たちは居住区での厳しい生活を強いられている。

 

哲学者P.リクールの言葉に、"苦しみはそれを見た者に「責任」を負わせる"という言葉がある。現場で"苦しみ"を目の当たりにした人間として、私なりの「責任」の果たし方を考えた。今まさにこの瞬間も現場で必要とされることがあり、それに主体者として関わった以上、例えば「まずは大学院に進んで修士号を取り、専門性を身に付ける」「まずは3年間一般企業で働き、スキルやノウハウを得る」なんてのは、全くもって非論理的なことだと、ようやく腹の底から気づけた。

 

その一方で、「必要」なことが転がっている現場なんてのは無数にあるからこそ、その中で「自分は〜のために行動を起こす」と決意するためには、やはり自分を納得させるための「論理」やエゴイズム、妥協が要ると思う。その背反する葛藤がまた、私にとっての国際協力の魅力であり、追求し続けたい命題の一つなんだと思う。

 

国際協力に携わる以上、やるからには「本当に意味のある国際協力」、そして「真の国際協力」を追求し続けたい。

 

山本敏晴さんの著書はこちら