原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

どんなに自分で努力をしたって、小学校に通えない子どもたちがいるこの世界。

都心に家を持ちたいとしよう。一軒家にせよマンションにせよ、数千万円の大金を支払う買い物は、きっと全ての人にとって人生で一番高い買い物だ。簡単に実現できる「夢」ではない。ただ、日本で生活するほとんどの人は、必死に勉強し、必死に働けば、その「夢」を叶えられる環境に置かれていると思う。

 

自分で努力をすれば、少なくとも「夢」に近づくことはできる。もちろん、今の日本社会では「相対的貧困」の問題も深刻化しているので、それに対する私の考えは『「アフリカの貧困なんかより日本の貧困に取り組め」と私に言うあなたへ』を読んでほしい。

 

ただ、世界を見渡してみると、どんなに努力をしたって、「夢」を実現することができない人たちがいる。いや、そもそもスタートラインに立つことすらできない人たちがいる。それも、決して都心に一軒家を持つことではない。「小学校に通いたい」という「夢」であってもだ。

 

ウガンダ北部のパギリニヤ難民居住区では、南スーダンから逃れた1万8千人の子どもが避難生活を送っている。その半分近くは、学費360円を支払えず、小学校に通うことができない。自分たちの責任でないのに、不条理な暴力により故郷を追われ、慣れない異国の地で彼らは「子ども時代」を失っている。

 

中には、紛争で両親を失い、子どもだけになった家族もいる。そんな彼らは、今日を生き延びるために、日中は農作業をして、水を汲みに行き、仕事をしなければならない。学費支援を受けることができなければ、自分たちでどんなに努力をしても、「小学校に通いたい」という「夢」を叶えることはできない。

 

この世界にはスタートラインにすら立つことのできない人が数え切れないほどたくさんいる。「初等教育」という、人間として生まれたからには、最低限満たされるべきものであったとしても。それを享受するために、最初の一歩が切れない子どもたちがいるのだ。南スーダンにも、シリアにも、ソマリアにも。

 

やりたいことを思いっきりやれる人がいる一方で、スタートラインにすら立てない人、自分で未来を決められない人がいるこの世界は、どう考えてもおかしい。誰もが同じ機会へアクセスできれば、せめてそのためのスタートラインに立てれば、そこには世界の「公正」が作られ、真の豊かな社会が待っている。

 

ウガンダに長く滞在し、あたりまえのように難民問題に取り組んでいると、時々感覚が麻痺しそうになる。現場では冷たい頭をもち、淡々とプロジェクトを進めていく必要性がある。けど、こうやって時々立ち止まり、心の中にあるモヤモヤを言葉にすることで、世界の不条理としっかり向き合いたい(終)