原貫太オフィシャルブログ

アフリカでの国際協力活動から仕事論、情報発信術まで。※本ブログの内容は個人の見解によるものです。

50m自由形37秒だった僕が、たった2年間で競泳全国中学に出られたわけ(努力論)

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中学生・高校生の頃、僕は水泳小僧だった。当時はアフリカの紛争やアジアの貧困には全くと言っていいほど興味がなく、とにかく水泳ばっかりやっていた。

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真ん中の宙に浮いている黒人マッチョが僕です

 

僕が水泳を本格的に始めたのは中学1年生になってから。小学4年生の時にも1年弱スクールに通っていたが、いわゆる「泳ぎを習う」コース。最後の3か月だけ選手コースに所属したが、当時の僕はまだバタフライが泳げなかった。小4の終わり頃には受験塾に通うため水泳スクールは辞めて、そこから中学入学までは水泳に全く触れなかったので、実質は中学入学と共に初めて水泳に手を出したといえる。

 

中学校の水泳部に所属してすぐに測った50m自由形。25mプール(短水路)をクロールで一往復だけ。その時の記録は37秒8

 

水泳関係者なら当然分かると思うが、決して、決して速くない。全国中学の派遣記録は25秒79。しかもそのタイムは、50mプール(長水路)で出す必要がある。一般的に、壁を蹴ることのできるターンが途中で入る25mプールの方がタイムは速くなると言われている。大体、0.2~0.3秒だろうか。

 

50m自由形は、競泳種目の中で最も短い距離の種目だ。故に、タイムを上げるのも一番難しい。しかし僕は、2年後の全国中学校水泳競技大会神奈川県予選会で25秒74をたたき出し、見事全国大会への出場権を獲得する。(書いててめっちゃ懐かしくなってきたwww)

 

なぜ1年間で10秒、2年間で12秒半タイムを伸ばせたのか

この伸び率は、どう考えても異常だ。全国中学出場者のほとんどは小学生の頃からスイミングスクールに通い、選手としてバリバリ練習してきた人がほとんど。その中で、なぜ無名の湘南ボーイが県6位に入賞した上に全国中学の切符を掴めたか。

 

 

「努力」と「環境」 、です。

 

水泳に「恋」した僕は、もうとにかく練習しまくる。部活やスクールで練習するのはもちろん、休みの日も市営プールに行っては自主練習。練習内容は全てノートに記録し、先生と一緒に分析。練習後は家に帰ってチューブを2000回、腹筋背筋500回。トレーニング後には必ずプロテイン。風呂上りにはストレッチを30分~1時間。空き時間にはスイミングマガジンを端から端まで読破。録画した日本選手権の映像を再生しては一時停止を繰り返し、気になった点をノートにまとめてこれまた分析。

 

とにもかくにも、凄まじく努力した。もう、こんなブログ記事なんかには書き切れません。中学生の僕はとにかく凄かった。練習の鬼だった。多分、あれだけストイックに水泳と向き合っていた頃があるから、今「国際協力」とも真摯に(というかストイックに)向き合えているんだと思う。

 

ただ、"50m自由形37秒だった僕が、たった2年間で競泳全国中学に出られた"のは、もう一つ大きな要因がある。それが、環境

 

いきなりだが、僕の叔父さんはオリンピック選手だった(マジで)。1976年モントリオール五輪の100mバタフライで7位に残っている。いわゆる、オリンピック・ファイナリスト。

 

父親も現役の頃は日本代表、また指導者としても某有名大学でコーチ・監督を長年務めていた。ちなみに、おじいちゃんは元国体選手らしいです。

 

これだけ聞くと「いや、遺伝だろw」と言われるかもしれない。まぁ、遺伝も確かにあると思うが、それよりも大きいのが努力できる"環境"に自分の身を置くことが出来ていたことだと思う。父親はトレーニング内容を考えてくれたり、試合を見に来てはレース運びにアドバイスをくれたり、その他諸々叱咤激励してくれた。水泳ド素人の母親もそれに影響を受けて栄養学を徹底的に勉強し、食事メニューや摂取するべきサプリメントを管理してくれた。

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高校生の頃

 

中学時代の僕の水泳伝記を綴ってもつまらないので、この「努力と環境」について少しそれっぽいことを語ると、「質の高い努力を継続するためには、自分の身を置く環境が大切だ」ということだ

 

僕が中学時代に死ぬほどの努力を続けられたのは、専門的知見からアドバイスしてくれる父親、朝練の時も早くに起きてご飯を準備してくれる母親はじめ、「一緒に全国中学に出よう」と夢を見続けた水泳部の同期など、身を置く環境が良かったからだと思う。この環境が無かったら、絶対に全中には出場できていない。

 

 

ここから「国際協力」の話へと繋げる。(何でも「国際協力」と結びつけますよ~)

 

誰だって(アジア・アフリカの)現地へと足を運び、紛争、貧困、人権侵害、環境破壊といった"不条理"と対峙すると、「世界のために、困っている人に何かしたい」と感じるはずだ。いわゆる"気づき"を持ち、「努力」したいと思うはずだ。

 

しかし、大切なのは"気づき"を持つことではなく、"気づき"を持ち続けること。スポーツに取り組む人だって、「国際協力」に取り組む人だって同じ、努力しようと思えるだけの"気づき"を持ち続けることが大切だろう。

 

このブログを読んでいる人の中には、もしかしたら心に火が付きそうになっている人もいるかもしれない。でも、ちょっと頭を上げて周りを見渡してほしい。フツ―に日本社会は回っている。日本の「あたりまえ」が、そこら中に転がっている。

 

ポリオ(小児性まひ)を患っているのに物乞いに利用されるバングラデシュの少年や、目の前で両親を銃殺された南スーダンの少女と現地で直に会い話をしている僕は、きっと誰よりも"気づき"を持ち、そして誰よりも熱い心を持っているだろう。そんな僕であっても、サークルで盛り上がる男女を横に早稲田のラウンジでこの記事を書いていると、その"気づき"や熱い心に、一瞬冷水が注がれそうになる。

 

 

だからこそ、質の高い努力を続けるためには、自分が身を置く環境が大切だと思うのだ。スポーツに取り組む人も、「国際協力」に取り組む人の、もし「一歩」を踏み出せずに留まっているのなら、環境を変えると良い。

 

例えば、私が代表を務める国際協力団体コンフロントワールドにボランティアとして関わることも環境を変えることに繋がるかもしれないが、もしそれだけの時間が取れないのであれば、単発の講演会に参加することも(一時的ではあるが)環境を変えること、環境を創ることに繋がる。もしくは、今私たちが生きる時代は便利なもので、(私含めて)「国際協力」に携わる人のTwitterFacebookを継続的にフォローすることもまた、ソーシャルネットワーク上ではあるが「環境」を変えることに繋がる。

 

「質の高い努力を継続するためには、自分の身を置く環境が大切」。スポーツをする人でも、「国際協力」に携わる人でも、身を置く環境について、しっかりと考えたい。

 

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相変わらず肩幅は広いまま(逆三角形!)だけど、最近階段の昇り降りで息が上がる…。水泳再開したいな。

 

 

 

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