原貫太オフィシャルブログ

アフリカでの支援活動から起業論、トラベルハックまで。

アフリカから紛争(内戦)が無くならない2つの原因をわかりやすく解説

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アフリカの紛争や難民問題についてブログを書いたとき、一番悲しくなるリアクションは

 

「アフリカには多様な民族が暮らしているから仲良くできないのは仕方の無いことだ」

「アフリカは開発が遅れていてまだまだ"野蛮"な人が多く、彼らには国家を統治する能力がない」

 

といったもの。彼らは、アフリカで起きる紛争の原因を、アフリカの中だけに求めようとしているが、これは大きな間違いだ。

 

 

なぜ、アフリカの紛争はいつになっても終わることがないのか。現場で支援活動に携わる者として、その本質をちゃんと伝えたい。

 

そうでないと、紛争で傷ついているアフリカの人たちに対して、向ける顔が無い。だから、僕は何度だって声を上げよう。

アフリカ 紛争
南スーダン難民の子どもたちと 

 

 

アフリカに蔓延する紛争に関心を持っている人、何か行動を起こしたい人は、その本質を見誤らないために、絶対に忘れてはいけない2つのことがある。

 

 

 

 

アフリカの紛争が終わらない背景には、必ず原因が存在する。

アフリカ 紛争

 

問題の背景には、必ず原因が存在する。あたりまえのことだ。それは、アフリカの紛争だって例外ではない。

 

 

アフリカは数百年もの間、欧米先進諸国に”従属”させられている。

アフリカ 内戦

紛争の続く南スーダンから逃れてきた子どもたち。筆者撮影

 

アフリカで紛争が続く原因の一つ目として、絶対に忘れてはならないのが、数百年にわたる欧米先進諸国とアフリカの間にある歴史的背景だ。

 

(言葉は悪いかもしれないが)ヨーロッパをはじめとした先進国の援助機関には、「アフリカにはいつも問題が山積みだから、私たちがその問題を解決してあげよう。」といった”高慢”なスタンスで活動する団体も、残念だが少なからず存在する。

 

しかし、歴史を紐解いてみれば分かることだが、そもそもの原因を作り出したのは欧米先進国(特にヨーロッパ諸国)なのだ。アフリカで紛争が終わらない原因を、まずは”縦”に捉えてほしい。

 

 

奴隷貿易の始まり、1500万人の強制拉致

アフリカ 紛争
photo by Paul Townsend

 

15世紀末にポルトガルがアフリカ大陸に到達してから、400年もの間「奴隷貿易」が続いた。これにより、推定1500万人以上もの人々が強制的に拉致される。

 

現地では野生動物のように扱われたり、アメリカ大陸や西インド諸島では欧米人たちが築き上げたプランテーションで強制労働をさせられたりした。そこには、人権という概念など全く存在しなかった。

 

この奴隷貿易によってアフリカの発展が著しく妨げられたのはもちろん、その後の対立、ひいては紛争に繋がっていく火種が巻き散らかされたのだ。

 

ヨーロッパ人たちは、自分たちにとって都合の良い「従順な」民族には武器を渡し、奴隷狩りをさせた。彼らは、自分たちの手を汚すことなく、アフリカ人にアフリカ人を集めさせた。お互いに争わせることによって、漁夫の利の如く、利益を確保したのだ。

 

 

この奴隷貿易は、19世紀前半にヨーロッパ諸国が廃止を決定してから200年近く経つため、今では過去の歴史としか認識されていないかもしれない。しかし、その後に訪れる植民地時代、そして現代にまで続くアフリカ内部の「分断」を考える上で、非常に重要な歴史的出来事であったことは言うまでもない。

 

 

植民地時代にヨーロッパがアフリカに持ち込んだ「分断」

アフリカ 紛争
photo by State Library of Queensland

 

19世紀中頃から進められた「アフリカ探検」によって、アフリカ大陸に眠る豊富な資源に注目が集まると、資本主義が勃興していたヨーロッパ諸国は、資源の供給地や新たな市場としてのアフリカに目を向ける。

 

そして、1900年頃までには、エチオピアとリベリアを除いて、アフリカ全土が列強諸国によって分割されてしまった。

 

この植民地時代に広く導入されたのが、「分断統治」と呼ばれるものだ。いくつか例を挙げよう。

 

植民地時代、イギリスは、植民地であるウガンダの南部を優遇する一方で、北部の人々を冷遇した。それにより、北部住民の不満はイギリスのみならず、ウガンダ南部にも向くようになる。

 

また、隣国のルワンダでも同じように、宗主国であるベルギーは少数派のツチ人を優遇し、多数派のフツ人を虐げることによって、国民の約85%を占めるフツ人の不満がツチ人に向くよう仕向けた。 

 

つまり、ヨーロッパ諸国は支配したアフリカの国を一国の中で分断し、人々を対立させることによって、植民地支配を円滑に進めていったのだ。

 

植民地時代に導入された分断統治は、アフリカの国々が独立した後に、民族紛争が起きる根本的な原因に繋がる。イギリスから独立した後のウガンダでは、植民地時代に”被支配者層”であった北部から誕生した反政府組織「神の抵抗軍」と、南部を中心とする政府軍との間で内戦が勃発。

 

そして、ウガンダでは3万人以上もの子どもが誘拐され、少年兵・少女兵にさせられた。この話は、後に紹介する元少女兵アイ―シャさんの体験談に繋がる。

 

また、独立後のルワンダでは、植民地時代に被支配者となっていた多数派のフツ人によって、ベルギーに優遇されていた少数派ツチ人約80万人が、たった100日間で殺害されるルワンダ大虐殺が起きている。

 

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21世紀に入っても、アフリカの紛争が終わらない大きな原因として、数百年にわたる欧米先進諸国とアフリカの間にある歴史的背景に注目し、

 

  • 奴隷貿易
  • 植民地支配

 

の二つを取り上げた。

 

”人類発祥の地”とも呼ばれるアフリカ大陸では、人々は自然と調和しながら、平和な生活を送っていた。そのことは、ボロボロの服を着ながらも、笑顔で駆け回っている今日のアフリカの子どもたちを見れば、容易に想像できるだろう。

 

奴隷貿易、そして植民地支配。この時代にヨーロッパ人がアフリカに侵入してきたことによって、彼らが維持してきた「平和な社会」は、破壊されてしまったのだ。

アフリカ 内戦

世界で最も貧しい国、ブルンジの子ども。バケツを転がして遊んでいる。筆者撮影。

 

 

アフリカと先進国の間にある政治・経済的な”仕組み”

アフリカ 内戦

もう一つ、アフリカで起こる紛争の原因を考える際に、忘れてはいけないことがある。

 

それは、アフリカの紛争・内戦の多くは、アフリカと先進国との間にある、政治・経済の”仕組み”の下で起きているということだ。

 

 

資源をめぐる紛争

アフリカ 内戦
 

例えば、日本の自衛隊も派遣されていた南スーダン。この国では、今でも内戦が続いている。

 

この南スーダンは、2011年に独立を果たした世界で最も”若い”国であるが、独立する前の「スーダン南部」の時代から、石油権益を巡った紛争が続いている。

 

そしてその背景には、アメリカをはじめとした先進国の”思惑”が見え隠れしている。

 

アメリカは、莫大な石油が眠っているとされる南部スーダン(現南スーダン)に当初から目を付け、1970年代から介入していた。しかし、冷戦時代の影響を受けて北部のスーダン政府が反米政権になると、スーダン南部の反政府勢力に武器や資金を流し込むようになる。

 

さらに、2001年以降になると、アメリカはスーダン南・北の「和平」を積極的に支援する(「和平」と括弧を付けていることに注意してほしい)。最終的に、南北の国境線や石油の利益配分なども未確定のまま、南スーダンの独立を後押しした。

 

つまり、アメリカは自分たちにとって都合のいい南部スーダンのみを、引きちぎったのだ。「和平」を後押しすることによって。

 

 

また、隣国のコンゴ民主共和国東部で起きている紛争も、先進国に暮らす僕たちの生活と無関係ではない。

 

この紛争の大きな原因になっているのが、現代の生活に欠かせない存在となったスマートフォンを始めとする電子機器だ。これらの電子機器には、大量のレアメタル(希少金属)が使用されている。

 

例えば、電子回路のコンデンサに使われるタンタルという鉱石は、推定埋蔵量の6割以上がコンゴに眠っていると考えられている。また、コルタンという鉱物も、埋蔵量の6割から8割がコンゴに存在すると言われる。

 

最近になって広く知られてきたが、このレアメタルはコンゴで暗躍する武装勢力の資金源となっており、紛争の規模を広げ、そして長引かせる大きな原因となっているのだ。

 

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武器産業による莫大な利益

アフリカ 内戦
 

紛争の被害者として最悪なケースである子ども兵士も、先進国の経済・政治的な構造によって産み出されている。

 

歴史的に見ると、子ども兵という存在は決して古いものではない。古くは中世から、騎士になることを望む子どもが従士になり、上官の身の回りの世話や荷物運びといった雑務に従事していた。

 

しかし、近年、特に第二次世界大戦後は子どもが武器を持ち、最前線の戦闘に従事することが急増している。その決定的な原因として、カラシニコフ(AK-47)をはじめとする小型武器の登場と流通がある。

 

紛争という”火”に、”油”を注ぎ続ける武器産業。小型武器を含む通常兵器の約9割は、アメリカ・イギリス・フランス・中国・ロシアの5大国によって生産されている。恐ろしいことに、この5か国は、国連の安全保障理事会で拒否権を持つ国々だ。 

 

なぜ、武器の生産が減らないのか。一言でいえば、武器生産や売買によって儲ける企業が世界中に存在し、それを仕事にする人たちがたくさんいるからだ。その規模は莫大である。

 

さらには、一部の政治家の活動資金が、武器生産関連の企業から出資されているケースもある。そのため、「政治家たちも武器産業に対する規制が下手にかけられない」というジレンマが存在するのだ。

 

そして、生産された武器の多くは、アフリカをはじめとした途上国に流れ込み、まさに火に油を注ぐかのように、紛争を拡大させている。

 

 

アフリカで続く紛争のリアル 14年間従軍した元少女兵の体験談

アフリカ 内戦

インタビューに答えるアイ―シャさん(仮名)(写真手前)

 

ここまで、アフリカで紛争(内戦)が続く2つの原因について解説してきた。

 

ただ、これだけでは話の規模が大きく、リアリティをもってアフリカの紛争を捉えることは難しいだろう。

 

だから、僕がウガンダ共和国で出会った紛争の”被害者”を、少しだけ紹介させてほしい。

 

 

ウガンダ内戦では3万人以上の子ども兵士が生まれた

アフリカ 内戦


1980年代後半から、20年以上内戦が続いたウガンダ共和国。僕は子ども兵士問題のリアルに迫るため、大学4年生のときに訪れた。

 

ウガンダでは内戦中、反政府組織「神の抵抗軍」により、3万人以上の子どもが誘拐され兵士として戦わされてきた歴史がある。一説では、神の抵抗軍は兵力の約8割を子ども兵士に頼っていたとも言われる。

 

子ども兵士は、水汲み、食事の準備、荷物運びといった雑用から、政府軍との戦闘や村の襲撃、新たな子どもの誘拐まで、多くの仕事につかされた。中には、地雷原を渡る際の「人間地雷探知機」、また弾除け、つまり「人間の盾」として利用される子どももいたという。

 

 

内戦には”少女兵”も駆り出されてきた

アフリカ 内戦

 

「少年兵」という言葉に聞き覚えがある人は多いだろう。しかし、子ども兵士の中には女子、つまり少女兵も存在する。アフリカでは、多くの内戦で「少女兵」の存在が確認されている。

 

ウガンダ内戦でも、多くの少女兵が生まれた。この後紹介するアイ―シャさんも、そのうちの一人だ。

 

現地の関係者から、こんな話を聞いた。「神の抵抗軍は子ども兵士を洗脳するため、自分の手で肉親や兄弟、親戚を殺させるんだ。」

 

子ども兵士に自身の家族を殺させること、地元の村を襲わせることは、彼らが脱走するのを防ぐ一つの手段となった。時には、家族の鼻や耳、唇を削ぎ落すといった残虐な行為までも強要された。

 

その結果、戦争が終わった後も、元子ども兵士たちの帰る場所はなかった。

 

 

わずか12歳で誘拐され、彼女は少女兵になった。

アフリカ 内戦

アイ―シャさん(写真右)


元少女兵、アイ―シャさん。2000年12月19日の真夜中、彼女は反政府組織「神の抵抗軍」に誘拐された。当時、わずか12歳だった。

 

「拘束された時から、密林を歩き回る生活が始まりました。」その後、少女兵として過ごした期間、彼女は数え切れないほど多くの困難と向き合うことになる。

 

「一日中重い荷物を持たされ、森の中を走りました。休みは夜に少し取るだけ。辛く、苦しかったです。」

 

”兵士”としての厳しい生活に慣れることは、非常に難しかったと彼女は語る。

 

 

アイーシャに”人殺し”を慣れさせた神の抵抗軍

アフリカ 内戦


人が殺されるところを、何度も目撃した。神の抵抗軍は、アイ―シャに人殺しの現場を見せたがっていたのだ。

 

誘拐された2000年から2003年までの3年間、ウガンダ北部の茂みを歩き回る生活が続いた。その後、ウガンダ政府軍による「神の抵抗軍」掃討作戦が勢いを増すと、ウガンダでの滞在は難しくなる。2004年、彼女を含む神の抵抗軍の兵士たちは、合計4回にわたって拠点をスーダンへ移した。

 

スーダンに拠点を置いている間も、越境してきたウガンダ政府軍による掃討が何度かあったため、さらに隣国のコンゴ民主共和国に移った。2006年のことだ。

 

 

脱走に失敗。鞭で200回叩かれた。

アフリカ 内戦

神の抵抗軍に従軍していたころ、彼女は一度だけ脱走を試みた。

 

脱走のリスクは大きかった。失敗し、捕まれば、それに対する罰は厳しく、非人道さを極めていた。時にそれは、命を失うことにも繋がった。

 

「ある夜、他の仲間たちと脱走を試みましたが、捕まり、鞭で200回叩かれました。」

 

コンゴに生い茂る密林を、神の抵抗軍と共に走り回る。そんな生活が長く続いたある日、彼女に子どもが産まれる。幼い子どもを連れながら茂みの中を走るのは、耐えきれないほど辛かったと彼女は語る。

 

子どもを抱き、銃を担ぎ、身の回りの物を背負い、茂みの中を走る。筆舌に尽くしがたいほど、辛かった。

 

コンゴから中央アフリカ共和国に移動し、またコンゴに戻り…、そんな生活が長く続いた。2014年、彼女はウガンダ政府軍に救出されたが、2000年に誘拐された時から実に14年間、少女兵としての生活を強いられた。

 

 

反政府組織を脱退した後は

アフリカ 内戦


救出されてからの生活は、茂みの中でのそれとは全く違うと彼女は話す。

 

「ここでは、人々はお互いの権利を尊重し合い、私たちは守られています。」拘束されていた頃は何も発言できず、ただただ、上官からの命令に従うほかなかった。

 

「荷物を運べ」と言われれば荷物を運び、「村を襲え」と言われれば村を襲った。命令に背けば、時には殺されるまで罰が下された。

 

地元に帰還した時、彼女には3人の子どもがいた。持ち物は何もなかった。それでも、幸せだった。拘束から逃れることができた。ただそれだけで、幸せだった。

 

「今はNGOで技術訓練や基礎教育を受けられる。そのことが、私を幸せにしてくれます。ここでの学びを活かして、もう一度、自分の人生を変えたい。そして、子どもたちの未来を支えたい。そう願っています」

 

 

さいごに

アフリカから紛争(内戦)が無くならない原因は、決してアフリカの「中」だけにあるのではない。

 

歴史的な背景はもちろん、アフリカと先進国の間にある政治・経済的な仕組みに目を向けない限りは、アフリカで続く紛争の本質を語ることはできないのだ。

 

そして、数値で一括りにされがちな紛争の被害者の中には、アイ―シャさんのように、ひとり一人の「人生」が確実に存在している。

 

僕たちが暮らす日本も、アフリカで起きている紛争と無関係であるとは決して言い切れない。そのことを一人でも多くの方に知っていただけたらと願う。

 

 

【書籍紹介】世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た「本当の」国際支援

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誰だって、一度は思ったことがあるだろう。今この瞬間にも、世界には紛争や貧困で苦しんでいる人がいるのはなぜなのだろうと。その人たちのために、自分にできることはなんだろうと。

 

僕は、世界を無視しない大人になりたい。  —本文より抜粋

 

 

ある日突然誘拐されて兵士になり、戦場に立たされてきたウガンダの元子ども兵たち。終わりの見えない紛争によって故郷を追われ、命からがら逃れてきた南スーダンの難民たち。

 

そんな彼らと出会いながら、僕は本当にあるべき国際支援を考え続けた。そして、平和がいかに大切で、いかに尊いものであるかを、心から実感した。

 

『世界を無視しない大人になるために 僕がアフリカで見た本当の国際支援』では、”世界の不条理”に苦しめられながらも、強く、そしてしなやかに生きる人々の「声なき声」を書いた。アイ―シャさんの体験談を聞いた後、僕がどんな行動を起こしていったのかもまとめている。

 

ぜひ読んでほしい。

www.kantahara.com

 

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Kindle版の購入はこちら。有難いことに、レビューは4.8/5.0(2018年9月16日現在)です。

 

なお、『世界を無視しない大人になるために』(定価700円)はKindle Unlimited登録作品のため、30日間のKindle Unlimited無料トライアル*を利用すればタダで読むことができます。ぜひお試しください。

 

 

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