原貫太オフィシャルブログ

アフリカでの支援活動から起業論、トラベルハックまで。

”国際協力”を近所の助け合いにする挑戦-サロン会員の声⑥(キャンベルさん)

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シリーズ「サロン会員の声」。この記事では、コンフロントワールドが運営する会員制コミュニティ「国際協力サロン―Synergy―」に所属する会員の声を紹介しています。

 

5回目の今回は、総合不動産会社に務めながら、サロンを通じて今の自分にできる国際協力を模索するキャンベル・ジェシフェルさんです。

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写真提供:キャンベル・ジェシフェルさん

 

幼少期にダイアナ妃に憧れたこと、『ハゲワシと少女』の写真に衝撃を受けたことなど、共感する方も多いのではないでしょうか。

 

心揺さぶられる内容です。時間を創って、ぜひ読んでみて下さいね。

 

peraichi.com

 

 

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はじめまして&こんにちは!キャンベル ジェシフェルと申します。

 

職場ではキャン、キャンさん、キャンちゃんあたり・・、友人や家族にはジェシーと呼ばれることが多いです。お会いした際には呼びやすい方でお声かけください!

 

日本には平野ノラさんの風貌の方が街にあふれ、誰もがアッシー、メッシーに「しもしも~?!」しながらも、世界情勢で言えば冷戦が終わりを迎え、ベルリンの壁が崩壊し新しい時代の音が聞こえ始めた頃に産まれた29歳です。今年ついに30歳になるのをクワクワしています。

 

アイルランドとフランスの移民の子であるアメリカ人の父と日本人の母のもとに産まれました。父の仕事の関係で、アメリカとイングランドに住んでいました。私・弟2人の3人兄弟です。

今は同い年のこれまたポルトガルやらいろんな血が混ざっている日系ペルー人で大学生の夫と、アイデンティティ迷子の3歳の息子と暮らしています。

 

仕事は、国際協力とは無縁の投資用不動産をメインに扱っている総合不動産会社に勤めていて、ゴリゴリのB to Cの新規開拓営業を行っています。お金があると人生の選択肢が広がるので、働くことは好きです。

 

 

国際協力に関しては、このコミュニティの中にいらっしゃる方々にはお伝えするのがはばかれますが、全くと言っていいほど、携わったことはありません。仕事も国際協力とは遠いところにありますし、実は私、サロンのオフ会にもどころか、自己紹介の投稿さえも参加したことありません。

 

そんな国際協力にそれほど興味がなさそうな・・・関係なさそうな資本主義の激流にもまれている私が今回の記事を書くにあたり、皆さんに偉そうにお伝えできることはないな、私がお伝えできるメッセージってなにかな?と考えたときに、私から見た『サロンに入るために必要な気持ち』『国際協力と関係なさそうな私がサロンでやりたいと思ったこと』をお伝えさせていただければと思いました。

 

「サロンに入ろう!」と思うに至るまでのバックボーンと、入るときのきっかけ、どこに縁を感じたかなど、まとまりがないですがつらつらと話させていただきます!

 

国際協力という概念さえも知らない頃の刷り込み

ダイアナ妃に陶酔する幼少期

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私は幼少期をイングランドで過ごしています。

 

私の年代のUK、USA育ちの子はかなりの確率でダイアナ妃に憧れ、影響を受けている時期があるはずです。

 

日本で言えばセーラームーンです。いや、セーラームーンとは違うのですが、誰しもが避けて通るのは至難の業でした。例に漏れず、ミーハーな私は彼女に憧れ、綺麗で誰にも深い愛情と笑顔を与え、世界を平和に変えるのではないかと思わせる彼女の行動に夢中になりました。

 

あんなLADYになりたいと胸をときめかせたものです。愛情深い革命を起こす女性に強く憧れる子供でした。

 

 

国際協力の芽生え

少食だった私がご飯を残すことが出来なくなった『ハゲワシと少女』の写真

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photo by Cliff (frickr)

 

思い返せば、これが私の国際協力への興味関心の原風景です。

 

ダイアナ妃が地雷のあるところを歩いているのも知ってはいたけど、世界の不条理を実感はできてなかったですね。

 

小学3・4年生の時だったと思うのですが、スーダンの紛争が世界問題になったときに授業でアフリカのことを学びました。その際に、ケビン・カーター氏が1994年にピューリッツァー賞を受賞した『ハゲワシと少女』を見ました。

 

写真から感じるメッセージに衝撃を覚え、世界が平等でないことに言葉にしがたいほどのショックを受けました。世界には食べるものがない人がいるのに、のうのうと生きているのが申し訳なく感じて、それまで食べることに興味がなくて少食だった私は、自分が手を付けなかった分の食事や、学校で作りすぎた給食を何とか世界のお腹がすいている子供たちに送れないかと真剣に考えました。

 

どこでもドアがあれば良いのに・・・ドラえもんを開発するにはどうすればいいのか考えたりもしましたが・・・とりあえず、当時の私は自分の出来ることの結論として、作られたご飯を美味しく食べよう!とそれまでの自分と大きく価値観が変わったことをよく覚えています。

 

今となっては食事を楽しみすぎていて、抑えることを覚えなければいけない大食漢になってしまいましたが。

 

 

国際協力の恩恵を私は受けた

紛争地帯で育ったわけではないけど、どこかで戦っている誰かに励まされてきた

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突然ですが、十代の多感な頃って誰しも自分が何者かを考えたり、尾崎豊時代を迎えたり、下手すると世間でいう黒歴史を迎えると思うのですが、ここでもミーハーな私は例にもれず黒歴史を迎えます。

 

自分ばっかりが不幸だと思う病気です。

 

その度に、私は世界のどこかにいる圧倒的不条理と向かい合っている人々を想いました。私より圧倒的につらい思いをしている方たちがいるのにこれぐらいでなんだ!と自分を鼓舞していました。

(だからと言って今つらい思い人たちにそう思えば楽になれるというメッセージではないですが。辛さはそれぞれの方のモノサシでしか図れないので…)

 

とにかく、勉強すれば大学に行けて、どんな仕事であれ働こうと思えば働ける日本にいる私は恵まれている、そう思うと、少しくらい辛いことがあっても頑張れました。

 

私はアフリカや世界の様々なところにいる困難と闘っている見たこともない、会ったこともない方々に励まされて生きてきました。

 

 

国際協力と自分の出来ること

国連職員にも、青年海外協力隊にもなれなかったからどうするか

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中学校のころ、「看護師になって青年海外協力隊に行く」という夢がありました。当時の担任の先生にそのことを話すと、国連職員を目指せばいいと言われました。

 

結果、尾崎豊時代を経て、看護師にも国連職員にもなれなかったけど、世界のどこかにいる大変な誰かに励まされて、今日を迎えています。

 

国際協力に再び強く関心を持ったのは、3年ほど前です。連日シリアのニュースが入ってくるのに、何もできない自分を不甲斐なく感じました。

 

息子と変わらない子供たちが、毎日無情に命を落としていく…自分がつらかった時に支えてくれた方々を、自分も助けられないか。

 

それまでは国連職員やJICAをはじめとした職種につかないと彼らを助けられないと思っていましたが、自分が今の仕事をしながら何かできないか、毎日考えるようになりました。

 

ふと、「国際協力できるビジネスを創れば良くない!?」と思いつきました。

 

こんなに情報があふれていて、世界の反対側だって近くに感じられる時代に、職業の枠にとらわれる必要はないと感じました。

 

この辺を詳しくお伝えすると文字数が来てしまうので割愛しますが、とにかく国際協力に携わっている方々を探しまくりました。そんな時に、サロンをん運勢する国際協力NGOコンフロントワールドの代表であるある原貫太さん、またスタッフの村上未来さん、西川敦彦さんと出会いました。

 

運営と会員が同じフィールドで議論できるサロンに入れば、国際協力にほど遠い仕事についている私だからできることが見つかるかもしれない。そう思い、加入しました。

 

この文章を読んでいる方の中で、私が挙げたように平和の為に尽力する方に感銘を受けた経験がある方もいると思います。世界の不条理を目にしたときに言葉にできない悔しさを感じた方も多くいらっしゃると思います。

 

このサロンには、国連やJICAに入るよりも、よっぽど簡単に加入できます。不条理に対して悔しい思いがあれば誰でも参加できます。

 

そして、そのサロンは創造期にあります。

 

ダイアナ妃をはじめ、様々な偉人でさえも戦争の無い世界に一変させることはできなかったけれど、少しだけ世界を変えることはできました。

 

1人でできることは限られているけど、自分のアイデアとこのサロンのメンバーで、少しだけかもしれないけど世界を変えるチャンスがあります。

 

いや、少しといわず、一変させられるかも。信じる者だけが革新を起こしていけますからね!サロンでお会いできるのを楽しみにしております!

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