原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

適応障害で仕事を離れて2カ月。ブログに記録を残しておこうと思う。

適応障害で仕事を離れ、ひたすら休むこと2ヶ月。長らく引きこもり生活が続いていましたが、ひとり旅ができるくらいまで回復してきました。群馬県の草津で温泉巡りをしています。

 

僕はあれだけ仕事が好きで、就活せずに起業までした人間なのに、どうして適応障害になってしまったのだろうか。正直、未だに自問自答してしまう瞬間があります。

 

それでも、自分自身を見つめ直すきっかけになった適応障害という病気と、ちゃんと向き合っていきたい。病気になってしまった自分のことも、ちゃんと受け入れてあげたい。

 

そう思い立ち、適応障害になった記録も、ブログに書き残していこうと思います。

 

※このブログは、適応障害になったことを初めて打ち明けた今年8月執筆の記事を、2か月後の10月に再編集したものです。

 

 

6月に適応障害と診断された

4月頃から、寝ても寝ても疲れが取れなかったり、急に気分が沈んだりと、適応障害の兆候は見えていました。

 

「その日」は思ったよりも早く訪れました。5月30日、夜8時頃のことです。

 

僕は仕事の会議中、パニック症状に陥りました。呼吸困難にもなりました。叫び声をあげ、涙も止まりませんでした。

 

周りのスタッフに支えられながら、そのまま早退することに。完全な鬱状態で、生きる気力も湧いてきませんでした。

 

しばらくは病院に足を運ぶ元気すらなかったのですが、少しだけ落ち着いてきた6月中旬に、自宅近くの心療内科を受診。そこで初めて、医者から「適応障害」と診断されました。

 

 

適応障害で仕事を離れることに

適応障害という病名は、少しだけ聞いた記憶がありました。

 

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。

 

また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。

みんなのメンタルヘルス総合サイト|適応障害(厚生労働省)より引用)

 

適応障害にもかかわらず仕事を続けると、症状が悪化し、「鬱病」に移行する危険性もあります。そのため、「最低でも3ヶ月間は仕事から完全に離れ、安静に過ごすように」と医者から忠告されました。

 

いわゆる、ドクターストップですね。

 

何のために仕事しているのか見失っていた

適応障害になった原因は、恐らく仕事の過労とプレッシャーです。

 

でも、それだけが原因とは思えません。僕にとって大きかったのが、アイデンティティの欠落。もう少し噛み砕いて言えば、「何のために仕事しているのか見失ってしまった」ことです。

 

「組織のために仕事する。」「社会のために仕事する。」そうやって自分に言い聞かせ続けながら、”純粋な気持ち”を押し殺し続けていたことで、結局自分が何のために仕事しているのか、何のために起業したのか、完全に見失っていたのです。

 

別に、誰の責任というワケでもなく、単に僕が未熟だっただけだと思います。

 

そこに、過労とプレッシャーの追い討ちです。最後の2週間くらいは、毎日本当に辛かった。辛くて辛くて、全身の血の気が引き、気持ち悪くなっていました。これも、適応障害の症状ですね。

 

 

適応障害は「原因」から離れると改善する。だけど…

適応障害はストレスとなる状況や出来事がはっきりしているため、その原因から離れると症状は改善すると言われています。

 

仕事から離れ2ヶ月が経ち、発症当初にまとわりついていた「絶望感」はほとんど無くなりました。時間が解決してくれるというのは、あながち間違ってはいないようです

 

でも、僕は仕事柄、たくさんのことに手を出し、たくさんの人間関係があったからこそ、適応障害になった原因はそんなにシンプルなものではなかったようです。

 

その証拠に、「僕がいなくたって、組織も、社会も、世界も回り続ける。僕はもう、必要とされていないんじゃないか。」そんな謂れのない恐怖感や不安感が、今でもふとした拍子に襲ってきます。

 

適応障害になる原因は、表面的にはハッキリしているように思えても、実際はそんなに単純なものではない。そんな気がしています。

 

ブログやSNSでメッセージをもらい救われた

適応障害になり、何もせずただ休んで過ごすだけの毎日に、罪悪感や焦燥感を覚えることもあります。

 

今まで生きてきた中で、一番に何もしないで過ごす日々。あれだけ毎日必死こいて仕事してきたというのに、すごい落差です。逆に、この生活をスムーズに受け入れられるまで時間がかかりました。
  
  
だからこそ、ブログやSNS経由で「とにかく休んでください」とメッセージくれた皆さんには、本当に感謝しています。「あ、休んでいいんだよな。」と思うことができました。

 

たしかに、SNSやブログを毎日のように更新していたことも、適応障害になった一つの原因かもしれません。でも、病気になり、逆にそのSNSやブログで励まされたというのも、また事実です。

 

ブログやってて良かった

適応障害になって、一つ感じたことがあります。

 

 

ブログやってて、本当によかったな。

 

 

適応障害で仕事から離れた後も、ブログは毎日誰かに読まれています。僕が元気な時に書いていたブログが、GoogleやYahooで検索されているからです。

 

このブログは400以上記事をストックしており、僕が仕事をできない間にもブログが働いてくれています。

 

ブログやってて、本当によかった。ちょっとだけ自慢しておきます(笑)

 

たまにですが、気分転換に新しいブログも書いています。仕事と関係ないようなテーマなら、ブログを書くのも辛くありません。それに、ブログを書くのには頭をちょっと使うため、適応障害の良いリハビリになっている気もします。

 

自分が感じていること、考えていることを言葉にするのって、大事ですからね。

 

だから適応障害のブログも書いてみよう。(10月9日追記)

元々このブログは、8月に草津を旅行しながら感じたことを書いた、ただのエッセイでした。

 

しかし、初出から2カ月経ち、今では「適応障害 ブログ」「適応障害 仕事」といったキーワードで、毎日誰かの目に留まっているようです。

 

同じ問題を抱えている人が、日本のどこかにいる。僕は発症から2ヶ月以上経ち、一時期に比べるとかなり元気になってきましたが、今この瞬間、苦しい思いをしている人もいるはずです。

 

だから、そんな人たちのためにも、適応障害のこともブログに書こうと決めました。

 

今の段階で適応障害に関するブログは、8月に書いたエッセイを編集したこの記事一本しかありません。でも、これから少しずつ増やしていこうと思います。

 

自分の病気と向き合い、理解を深め、発信する。それが、自分自身と向き合うことだけではなく、いま日本のどこかで苦しんでいる誰かの役に立てば嬉しい。

 

上手くいったこと、楽しかったことはもちろん、失敗したこと、悲しかったこと、苦しかったこと。人生で自分に起きたことすべてを「コンテンツ」にできたら、もう少し前向きに生きられる気がします。

 

※適応障害のブログは、カテゴリー「適応障害」でまとめていきたいと思います。