原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

”初めての任務として母親の腕を切り落とす”少年兵・少女兵問題は、大学生の私にとって目の前の解決したい問題になった。

「誘拐された僕は故郷を襲撃することを強要された。そして、母親の腕を切り落とした。」

 

洗脳するために、初めての任務として親や兄弟の殺害が強要される。少女兵の場合、戦闘に駆り出されるだけではなく性的奴隷としても搾取される。帰還後もコミュニティからの偏見や差別に苦しみ、再び反政府軍へと戻る元子ども兵がいる。

 

その不条理すぎる実態は、以前「初めての「任務」は母親の腕を切り落とすこと-子ども兵問題の実態(前編)」「"12歳で兵士になった女性"が語る壮絶な証言-子ども兵問題の実態(後編)」にまとめているので、ぜひ参照してほしい。

 

この問題を初めて知ったのは、いつだっただろう。たしか、私がまだ高校生だった頃。何かの本で目の当たりにし、強い衝撃を受けたのを覚えている。

 

一方で、その実態があまりにも不条理すぎるからか、子ども兵問題に対して当時の自分は「どこか遠くの世界の出来事」として割り切っていたかもしれない。きっとこの記事を読んでいるあなたも、子ども兵問題は「どこか遠くの世界の出来事」と感じているかもしれない。私もそうだった。

 

 

では、なぜそんな私が今、認定NPO法人テラ・ルネッサンスのインターン生として、この問題に真正面から向き合っているのか。本気で解決したいと思い、日々仕事に励んでいるのか。

 

 

最悪の形態の児童労働としての子ども兵

そもそも子ども兵という「労働」は、「最悪の形態の児童労働条約」(1999年)によって、売春や債務奴隷と並び「最悪の形態の児童労働」と定義されている。

 

私は、大学2年時に任意団体バングラデシュ国際協力隊を立ち上げ、その後約2年間代表として児童労働問題(ストリートチルドレン問題)に取り組んできたが、その過程で、「最悪の形態の児童労働としての子ども兵」に問題意識を深めていった。

 

 

紛争下で生きる子ども

一方で、大学3年時の秋からは交換留学生として渡米。国際関係論を専攻し、日々紛争や暴力について考える日々を送った。その過程でまた、紛争下で生きる「子ども」という存在に問題意識を持った。

 

アメリカ留学中も、様々な資料を通して子ども兵問題に対する理解を深めていった。しかしながら、その深刻過ぎる実態は、やはりその問題を「どこか遠くの世界の出来事」に感じさせる。初めて子ども兵という存在を知った高校生の時から、進歩していない。

 

私は、それが悔しかった。問題意識が朧げなものから明確なものへとなればなるほど、その問題を「どこか遠くの世界の出来事」として終わらせたくなかった。だから私は、一人でアフリカへ行くことを決めた。

 

 

アイーシャさんとの出会い

テラ・ルネッサンスがウガンダで運営する元子ども兵の社会復帰施設。「拘束されていた頃は何も言う事が出来ず、ただ命令に従うしかなかった。『荷物を運べ』と言われれば荷物を運び、『村を襲え』と言われれば村を襲った。命令に背けば殺されるまで罰が下された。」

 

12歳で誘拐され、その後26歳までの14年間反政府軍に拘留されていた元少女兵アイーシャさん(仮名)の体験談は、想像を絶するほど過酷なものだった。

 

 

"人の苦しみは、それを見た者に義務を負わせる"という言葉がある。「アイ―シャさんの苦しみを見た人間として、彼女の話を伝えることはもはや私の義務だ」と感じた私は、インタビュー記事の執筆や彼女の話を元にした日本での講演を決めた。

 

ただ私は、社会復帰施設があるウガンダ北部を離れる時に、直感的に心に決めたことがあった。「もう一度必ず、ここへ戻って来よう」と。

 

私は来年1月から、テラ・ルネッサンスが活動を行うウガンダとブルンジへ派遣される。初めて子ども兵問題を知った時は「どこか遠くの世界の出来事」と割り切っていた人間が、今度は内部の人間として、真正面からこの問題と向き合うことになる。

 

そして同時に、アフリカが抱える問題を「どこか遠くの世界の出来事」として終わらせないためにも、これからも日本の人々へ様々な記事をお届けしたい。