原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

発展途上国で生きる子供たち(ストリートチルドレン)の写真、考えるべきこと

ご無沙汰しております。

 

「書かねば書かねば」と思ってはいたものの、最近は筆を執るのがどうも億劫で一か月ぶりのブログ更新となりました。国際ニュースの解説記事も全く書いておらず、いやはや反省です。ただ相も変わらず毎日沢山のニュースをBBCやAljazeraで読んでいるので、また少しずつ書いていきたいと思います。

 

これまでの私の記事をご覧になっている方は分かるかもしれませんが、大学生という身分にありながらも私は、人一倍プロ意識を持って、(良い面も悪い面も)途上国の現状を「伝える」活動に取り組んでいます。その根本的な動機や目的などはこちらの記事で綴っています。

 

「伝える」とひと言で表しても、私の場合SNSの活用、記事執筆、講演など、様々な「手段」を通じてこの「伝える」活動に取り組んできました。いずれにせよ、そのほとんどのノウハウはトライする過程で学んでいるもの、つまり「独学」でやってきました。今日はこの「伝える」、特に写真を利用したものに関して、そのHOWにあたる「デザイン」や「方法」の一論を、特に大学生が最低限気をつけたい点に焦点を当てて、書きたいと思います。

 

避けるべき「主観の押し付け」

皆さんもご存知のように、学生による国際協力 (or 国際交流)の活動がブーム(註:最近は学生団体ではなく、起業やインターンシップを通じてこの世界に身を投じる学生が増えてはいますが)になっている今日。特にカンボジアやフィリピンを始めとして東南アジアにて活動を行う学生団体は、もう数え切れないほど存在します。それら学生団体によって行われる活動として、写真展やパンフレット作製などを通じた「伝える」活動があります。

 

しかしながらこれらの試み、デザインに拘り過ぎると、そこで印象操作が行われ、伝える側の主観を押し付けることに繋がりかねません。先日私が問題視した例としては、バングラデシュのストリートチルドレン(親元から離れて路上で生活している子どもたち)の写真を、背景や周囲の様子を切り落として人型の写真に切り抜き、それをボードに貼り付けた展示。ストリートチルドレンの周りには、お洒落な星や円型の色紙を貼付。

 

展示のコンセプトとしては”「テロ」や「過激派」など、今日各種メディアによってバングラデシュの負の側面ばかりが取り上げられているから、別のバングラデシュの面、例えば「楽しい」「明るい」面を伝える”とのことでしたが、それを伝える側の我々が、デザインを乱用することで「楽しい」「明るい」面を前面に出してしまうのは、ちょっと違うと思うのです。そして、活動に対してヤル気のある学生はデザインに凝りやすいため(註:ヤル気があることはもちろん良いことです)、悲しいことにその傾向がさらに強くなってしまう。

 

受け手の捉え方を大切にする 

楽しそうな様子の写真、例えば笑っている子どもたちの写真や、ふざけ合っている子どもたちの写真を使うこと自体は当然問題ありません。私の知り合いでも、一般的な途上国の印象、例えば「貧しい」「危ない」といった印象を壊すために、そのような写真をSNSに上げている方はいます。しかし、やはりそこで大切にするべきなのは、それらを見る受け手の捉え方です。なぜなら、現実を切り取って事実を届ける事によって、決して受け身ではない、主体的に考えようとすることに繋がっていくから。

 

笑顔だって、一つではありません。心から楽しんでいる笑顔もあれば、悔しさや悲しさを心の奥底で噛み殺しながらの笑顔もある。特に、ストリートチルドレンのような特殊な背景を抱えている子どもたちの表情は、私たちに色々なことを考えさせます。「なぜ君たちは、そんなに笑っていられるの?」と。

 

ゴミ山の上で笑っている子どもの写真を見れば、「なぜゴミ山にいるのだろう」「その笑顔は本物なのだろうか」などと、見る人には主体的に考えるきっかけが生まれます。さらに、例えば「ゴミ山からお金に換えられそうなガラクタを集め、廃品業者に運ぶ仕事をする子供どもたち。学校には通わず、毎日この場所で仕事をしていると話していた」という事実を写真の説明として載せておけば、「なぜ満足に教育を受けることがでいないので、彼らは笑っていられるのだろう」「本当の幸せって何だろう」と、考えることにも繋がるかもしれません。

 

それが、先ほど問題視したような展示の方法を取ると、彼らが今どんな状況に置かれているかを知ることも出来なくなり、そして周りに施された装飾によって、「楽しい」「明るい」というイメージが固定的に捉えられます。さらに言えば、人型の写真に切り抜き周りの様子が無くなってしまえば、それはもう「ストリートチルドレン」ではなく、「バングラデシュの可愛い子どもたち」で終わってしまうかもしれない。

 

楽しい面だろうが悲しい面だろうが、そこを考えるのは写真を見る受け手たち。その伝え方に、余計な演出は要らないと思います。写真と現実が乖離してしまうと、写真が独り歩きしてしまうからです。

 

一方で、それ(現実を切り取り事実を表した写真)を見て、何かを感じ取り、そして行動までも繋げられる日本の人々、特に若い人たちはどれくらいいるのだろうか、という葛藤もあります。だって、新聞でもテレビでもネット記事でも、途上国、特に紛争地のような厳しい環境で生きている人々の写真は、今簡単に私たちの元へと届いてきますもんね。だから、「伝わる」ための「伝える」方法を考えることが難しいのは、確かに事実。そして当然、決して伝える側の主観を押し付けるのではなく、受け手の主体的(積極的)思考を引き出すための「デザイン」があるのも事実で、そこを追求していく必要もあります。

 

だからこそ、まずはその背景(内容の情報から被写体の周囲の様子まで)をちゃんと伝えることが大事。なぜなら、一面だけではなく、多面的にその対象を理解することによってまた、考えるきっかけが別に生まれるから。私たちが伝える対象(問題)は、知れば知るほど、理解すればするほど、私たちに「何か」を考えさせるから。

 

 

*2017年3月25日、修正・加筆。