原貫太の国際協力ブログ

フリーランス国際協力師原貫太のブログです。国際協力やNPO・NGO、アフリカ、社会問題などのテーマを中心に解説しています。

「世界は何も学んでいない」『ホテルルワンダ』の舞台、ルワンダ虐殺の跡地を訪れた(前編)

こんにちは。先日投稿した記事が意外にも評判良かったらしく、続けていく価値はそれなりにあるかなと、ひとまず安心しました。

 

今日から本格的に記事を投稿していくわけですが、しばらくはアフリカ渡航(2016年1月)の記録とそれに付随した思う事を書き綴っていこうと思います。初回の今日は、「ルワンダ虐殺から22年。80万人の死から、世界は何を学んだのか?(前編)」です。

 

ルワンダの虐殺についてここで詳しく触れることはしませんが、簡潔にまとめるならば、「1994年にルワンダで起きたジェノサイド(集団抹殺)。100日間で、多数派フツ族により、少数派ツチ族と穏健派フツ族約80万人が殺害された」と表されるでしょう。1994年4月にフツ系の大統領が何者かによって暗殺されたことをきっかけに、それまで長らく続いていたフツとツチとの抗争が激化し、国全域へと虐殺が発展。ツチ系のルワンダ愛国戦線が同国を制圧するまで、虐殺は続きました。

 

今回の記事では、一夜にして45000人が虐殺されたという技術学校の跡地、ムランビ虐殺記念館を訪れた際の記録と共に(前半)、その経験から芽生えた私の想いや考えを書きたいと思います(後半)。

 

ルワンダ虐殺は非常に難しく複雑なトピックで、私のような大学生が偉そうに語ることが良いものなのかと不安にもなりますが、それでもやはり、考えなければならない。そして、伝えなければならない。そう思います。

 

ムランビ虐殺記念館に安置されている、数百ものミイラ化した遺体を前にした、あの瞬間を思い出しながら、綴ります。

 

<豆知識①>

ルワンダ虐殺の知られざる真実。最近の研究では、殺されたツチよりも、現大統領ポール・カガメ率いるツチ系軍隊が殺したフツの方が多かったという分析もあります。ルワンダ愛国戦線はルワンダの政権を掌握した後も、コンゴ東部で虐殺を続けていたことが国連報告書で暴かれているのです。

 

<豆知識②>

虐殺の直接の引き金になったルワンダ大統領&ブルンジ大統領が乗った飛行機の撃墜は、最近ではポール・カガメ率いるルワンダ愛国戦線の仕業だったことが明らかになりつつあります。ポール・カガメが率いていた軍を背後で支援していたのは、アメリカ合衆国。カガメは被害者面ばかりし、そして戦争の勝者はいつの時代も裁かれることはないのです。

 

<豆知識③>

フツ対ツチの構図で虐殺が最初に起こったのは、ルワンダではなく隣国のブルンジです。1972年には20万人、88年には5万人のフツがツチ政権によって虐殺されています。『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』といった映画の影響もあり、東アフリカ一帯で注目されるのはルワンダ虐殺ばかり。ブルンジでの虐殺は世界から忘れ去られ、未だ世界で最も貧しい国のままなのです。

 

 

一夜で起きた4万5千人の虐殺

一夜にして4万5千人もの人々が虐殺された技術学校の跡地、”ムランビ虐殺記念館”。

 

4万5千人の虐殺-。それが起きたのは1994年4月21日、私が生まれる前日の事だった。

"丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる"という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、避難していたツチ人約4万5千人が、過激派の民兵たちに殺害された。

 

一人は斧で、一人は鉈で、一人は手榴弾で、一人は銃で。夫が妻を殺し、妻が夫を殺した。隣人が隣人を殺した。たった21年と7か月前、まさに私が立っているこの地で、老若男女関係なく、多くの罪なき人々の命が消え去った。

 

殺害された遺体は、当初は写真にある穴(mass grave/集団墓地)に放置された。紛争後、この穴からは、無数の死体と遺留品が出てきたと言われている。

 

建物の中には、殺害された人々のミイラ化・白骨化した遺体が無造作に並べられていた。頭蓋骨の割れた遺体、赤子を抱いた母親の遺体、手足が切断された遺体、叫ぶようにして口を開けた子どもの遺体…。部屋の中にはこれまで嗅いだ事の無い異様な臭いが立ち込めており、遺体は触ってみるととても冷たく、決して人の身体などとは思えなかった。

 

「世界から虐殺は無くなっていない。シリア、アフガニスタン、イラク、ソマリア、コンゴ…。今この瞬間にも、多くの人々が不条理な死へと追いやられている。」という私の質問に、当時16歳だった方は、「世界は何も学んでいない」と答える。

 

今日、虐殺の跡地では、子ども達が無邪気に笑っている。ルワンダ虐殺から22年の月日を経て、世界はどれだけ変わっただろうか。

 

先進国に生きている私たちは、テレビに映し出される世界の紛争や貧困を、未だに「可哀想だね」の一言で片づけ、そして愛する家族や恋人たちとのディナーを続けているのだろうか。

 

どれだけ悲しかっただろうか。どれだけ恐ろしかっただろうか。どれだけ悔しかっただろうか。当時、そこで起きたことを頭の中で想像する事は出来ても、その奥底にある、犠牲になった人々の感情、気持ちまでも捉えることは、究極的に難しい。

 

世界は不条理だ。生まれた場所によって”命”の価値が変わってしまう。そんな現実を前にして、今私たちは、何を考えるべきだろうか。